跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/04/25 BGM: Beastie Boys - Fight For Your Right

今日は早番だった。情けない話なのだけれど、今日こそ発狂するのではないかと思った。部屋の中に居ても「助けて」とつぶやいてしまったりして……昨日いただいていたLINEのメッセージでは「朝起きた時のコンディションで今日行くかどうか決めたらいい」と教わっていた。仕事なんてできる精神状態ではなかった……のだけれど時間になると私は靴下を履き、服を着てカバンの中に『ロリータ』を入れて(読めるわけもないのに!)、そして職場に向かった。「助けて」か……過去に参加していた自助グループのサイトでこの言葉をつぶやいた人に対して「こんな人はスルーでいいですよね」と言い放った人がいたのを思い出した。他力本願がすぎる、ということだろう。それはわからないでもない。だが、私はそんなに強くない。「助けて」と言ってしまうこともある。人一倍愚痴・弱音を吐きジタバタとゴキブリのようにあがいてしまう。

結局頭の中でありったけの、思いつくだけのビースティ・ボーイズの曲を鳴らしながら仕事をする。ボディ・ムーヴィン……職場ではさまざまな方が話しかけてきて下さった。「大丈夫か」と。普段なら考えられなかったことだ。これもジョブコーチの方が入って下さったりしたことから来る変化なのだろう、と受け取りたい。ああ、自分は愛されている。そのビースティ・ボーイズの曲以外のことはまともに考えられず、昼休みにうなぎ弁当を食べてしまい一服した時もアイデアがわかず断片的にあれこれ考えを吐き出すこととなる。最近は天候の影響で寒暖差が激しいので神経に障るのではないか、と言われたりもした。解決策はとにかく動くこと、身体を使うことだ、と。でも、そのエクササイズと違って仕事はぼんやり「楽しむ」にはあまりにもシビアすぎる。いや、なんだかんだで今日も仕事はしたのだけれど。

ふと昼、RCサクセション「スローバラード」を聴いてしまう。大好きな歌のひとつだ。「悪い予感のかけらもないさ」というフレーズが刺さる。泣きそうになる……そしていつも自分はこのようにして歌に励まされてきたのだなと思う。フィッシュマンズ「SLOW DAYS」を聴き、「人生は長いぜ」という言葉に軽く励まされ……「スロー」という言葉が共通していることに気づく。自分は結局スローにしか歩めない。この効率化の時代、自分のこのような鈍くさい亀のような歩みは明らかに分が悪い。でも、大リーグボール養成ギブスなんてものが売られているわけでもなし、自分自身を育てるというのは本来そのように時間をかけないと成り立たないものではないだろうか。タイムパフォーマンスの時代というが、そんなのはナンセンスだ。私はこのスローな人生をこれからも歩む。

ああ、何度そのフィッシュマンズ「SLOW DAYS」の一節を歌ったことだろう。千度は聴いたかもしれない曲だ。「人生は大げさなものじゃない」……今でも、自分の中から温泉のように湧いて出てくるフレーズだ。ありがたい哲学書や文学書ではなく、今はこうしたポップソングのフレーズが自分自身を支える。夜になり帰宅して、そのまま何もする気になれず(『ロリータ』も結局1ページも読まず)寝てしまう。明日は休みだ。安吾を借りに行こう……そしてナボコフと一緒に読もう、と思う。あるいは部屋で1日中ビースティ・ボーイズを聴きながらのんべんだらり、思い切りサボタージュを試みるのも悪くはない。何か小説でも書いてみようか……思いは膨らむ。ああ、こんなアクティブにたわけた思いが出てくるということは、自分は鬱ではないことは確か。ならばやはり仕事を休んでしまったのは逃げたから、なのか。怠け癖がこれ以上嵩じてはいけない。安吾の「堕ちよ」に倣って明日は思いっ切りダメになろう。