跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/12/28

BGM: Number Girl "YARUSE NAKIO の BEAT"

フェルナンド・ペソア『不安の書』を読み終える。これで5周したことになる。いつも私はなにも読みたくない時にこの本を読み進めてきた。ペソアが特にまとまりもなく書き続けてきたこの断片たちは日記のようでもあり、一貫したストーリーなどなにも持っていない。ただ、全体を倦怠感が貫いておりこちらも生きていることに飽き飽きしている時に読むととても心地よい。これほどの倦怠感、つまり生きていることそれ自体がすでに疲れることだと語ろうとしているかのようなペソアは、相当にスマートで繊細な人だったのだろうなと思わされる。

そして、古井由吉『仮往生伝試文』を読み始める。いったい生涯に私は何度この本を読み返すことになるのだろう。かつての人々の死をめぐる物語と今を生きる著者自身の日記を組み合わせた構成となっているこの本は、それ故にたじろいでしまうほど死に肉薄した作りとなっている。メメント・モリ(死を忘れるな)……誰もが死ぬ。それについて、愚直に見つめ続けること。そこから言葉を立ち上げること。著者は書き続け考え続ける姿勢を採り、自在に言葉を連ねていく。その筆致は今なお生々しい。私も、いずれ来るだろう死を考えてしまった。

ペソア古井由吉を読み……私の読書はそんなふうにして、自分でもよくわからないままに続いていく。今年も色んな本を読んだ。片岡義男を読み日本語と英語について考えたこともあり、脳科学の本に素人なりにアプローチしたこともあった。仕事とは全く無関係に、好きなように読み散らかしているだけなので蓄積とも特に無縁である。大いなる徒労……でも、そういう徒労があってこそ人生ではないのかなとも思う。自己啓発のため、有用なものを求めるために行うのならもっと違った本を読むので、単なる趣味にすぎないのだった。

フィッシュマンズ『98.12.28 男達の別れ』を聞く。フィッシュマンズを聞かなくなってから随分経つ。嫌いになったわけではない。彼らからは相変わらず日常の普通の生活の中にこそ崇高さが眠っていること、そうした生活こそがかけがえのないものであることを学んでいる。だが、今は違う音楽を聞いて違うことを考えたいと思う。去年の年末に聞き込んでいたECDの『失点 IN THE PARK』を再び聞いている。今年の年末もECDと付き合うことになるのだろうか。いつの頃からかこんな貧しく慎ましい、そして穏やかで幸せな生活にも慣れてしまった……。