跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/06/12

今日は休みだった。朝、イオンに行きそこでいつものように本を読もうとする。しかし、本は私に何も語りかけてこなかった。そこに書かれていることを私はもう理解できないのではないか、とさえ思った。もちろん、本がくだらないとかそういうわけではない。本は立派な著者の仕事の成果だ。だが、私自身がそうした成果を理解できない状況だった。そんな時に読める本は決まっている。私にとってはフェルナンド・ペソア『不安の書』であり、古井由吉『仮往生伝試文』『野川』『白暗淵』といった本だ。グループホームに帰り、そうした本を引っ張り出してきた。

『不安の書』を読み始める。それと並行して、メモパッドにいつもやっているようにその時思っていること、わだかまっていて言葉にならないことを言葉にして書き起こしてみる。そうすると心が落ち着き、おかしな言い方になるが「臨戦態勢」になる。身体と心が温まってくるのを感じる。興奮してくる……ペソアの書きぶりはいつもながら見事で倦怠感や生の無常、もしくは無意味さについて考えさせられる。この分厚い本を私はすでに5周していることを知る。だが、飽きる気配はない。古井由吉『仮往生伝試文』(こちらは9周している)と同じく、私が生涯愛読する本になりそうだ。ああ、実に奇妙な人生だ。

新しい本に食指が動かない。図書館に行っても古井由吉ポール・オースターのような書き手の本しか読む気がしない。たまたま今がそういう時期なのか、それとも私自身が47歳になったせいで感受性が硬直してしまったのか、それがわからない。若い頃、私は眼前に現れるあぶくのような本ばかり読んでいたことを思い出す。古典を読むのが苦手だった。だが今は古典を好んで読む。音楽もジャズを聴いたり、私が若い頃に流行ったゴールディーやアンダーワールドマッシブ・アタックを聴いたりする。こうして「老いて」いくのかな、と思う。

夜、ヤネさんの誘いに乗ってclubhouseでルームを開く。今回は断酒会のことを話した。就活がうまくいかずに呑み始めた酒が尾を引いて、20代や30代を呑んだくれて過ごしたこと……その頃は「いい大学からいい会社へ」がいい人生の必須条件だと信じていた。それが手に入りっこないことを思い知らされたから呑んだくれたわけだ。だが、今はグループホームの食事が美味しいことにこそ幸せを感じる。身体が動き、よく眠れてよく食べられる。いい本が手元にありいい音楽に心が動く。そんなことに幸せを感じるのだった。これもまた、「老いた」ということなのだろう。