跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/09/13

BGM: Flipper's Guitar "Big Bad Bingo"

今日は早番だった。朝、昔のことを振り返った。いわゆる私自身の黒歴史というやつだ。昔、他人から褒められたくて、とにかく注目されたくてずいぶん無理をしていた……Twitterにずっと入り浸って、フォロワー数を増やそうと頑張ったものだ。今はそんなことは考えない。前にも書いたかもしれないが、DiscordやFacebookやリアルで本当に信頼できる人たちとつながることができたせいか、むしろ「そこまで目立ってどうするの」と思うようになったのだった。私はイデオローグではありえないので、無闇矢鱈と目立つべきでもないだろうと思う。自然体が一番だ。

そう考えて満足できるようになったということは、昔は信頼できる人とめぐり会っていなかったということになる。昔、本当に私の周りには数えるほどしか味方がいなかった。だからこそネットで著名になりたい、ビッグになってやりたいという身の程知らずというか非現実的な欲望が芽生えたのだなと思う。ああ、今はリアルで本当に私のために走り回って下さる方々が居ることを感じる。そうなってみるとネットの断片的な情報を肴に無責任なことを口走って騒ぐ人たちがアホみたいだと思えてくる。確固とした人間関係を大事にしたいと思うのだった。

グループホームに帰った後、Twitterを見ていてジャン=リュック・ゴダールが亡くなったとのニュースを知る。WhatsAppで九州の友だちにそのニュースを伝えると相手も驚いていた。ゴダールに関しては私は、映画に無知だった頃ずっと「巨匠」というイメージがあり、したがって理解できない自分はおかしいと思いこんでいたのだった。それで理解しようとして無理をした……権威主義というやつだ。ゴダールの映画は私の意見では、さまざまな映画をある程度見て映画のリズムを身体で理解できるようになってみてわかるところがあるのではないかと思う。

あくまで私の意見にすぎないが、ゴダールは映画を浴びるように観まくった映画狂なのでそんな男が映画の文法を外すことにこだわって作ったものであることを踏まえておく必要がある。それを理解するためにはまず映画の文法(お約束、と言ってもいい)を踏まえる必要があるわけだ。私にとってゴダールの映画を理解する過程とはそんな映画のお約束そのものを理解する過程だった。ゴダールを楽しめるようになった時、私は自分がひと皮剥けたようにさえ感じられたことを思い出す。血湧き肉躍る映画の楽しみを教わったと確かに思った。巨星墜つ。哀悼の意を表したい。