跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/09/11

BGM: Green Day "Wake Me Up When September Ends"

子どもの頃、いつも周囲から叱られるか笑われるかばかりだったことを思い出す。だから私は未だに自分が何か失敗しているのではないか、いつか叱られるのではないかとビクビクすることがある。もっと言えば生まれてきてしまったこと自体が失策なのではないかとさえ思ったこともある。当時のクラスメイトを捕まえて問い質したいとさえ……今はそんなことは思わない。ただ、彼らが今どんな風に暮らしているか、今の私を見てどう思うかは知りたいと思うことはある。とは言うものの、旧交を温めるべく同窓会に出たいと思うことはないのだけれど。

憎しみ、怒り……そんなネガティブな感情を煮え滾らせて生きていたことを思い出す。こうしてウェブサイトで何かを書くことにおいても、若い頃はさながら全世界を敵に回しているつもりだった。若気の過ちというやつだ。だが、今日みたいな日はふとそんな私自身の過去を思い出し、憎しみや怒りを原動力に生きることについても考えてみたくなる。それは確かに優れたものを生み出しうるだろう。だが、幸せな人生だとは思わない。自分を常に痛めつけて生きていることに変わりはないからだ。私は今は自分を愛したいと思うし、この世界をも同時に愛したいと思う。愛を原動力に生きたいし、書きたいとも思う。

昼、冷泉彰彦『セプテンバー・イレブンス』を読む。あれから20年以上経ったわけだが、冷泉彰彦が指摘していることは今なおアクチュアルであり読み返すに値する仕事だ。単に愛国主義ではなく、単純にアメリカを悪と決めつける反グローバリズムでもなくまずアメリカという土地に住む者としてリアルを見つめ、そこから立ち上がる感覚を繊細に言語化するところから著者は始めようとしている。民族や文化など異なる価値観の上に立つ人々が共存しようと試みるアメリカにおいて、そこから人々が織りなす新たな価値観を拾おうとしている。そんな姿勢に共感を覚えた。彼の仕事はもっと評価されるべきだとも思う。

その傍ら、clubhouseで行われたジュディスさんのルームに参加する。自分に影響を与えるものは何か/誰か、という話で盛り上がった。私は、もちろん外部にある存在が私に影響を与えていることは間違いないが同時に私の中から沸き起こるものも私に再考を促し、影響を与えているとも思った。感動したら涙を流す、というように私から溢れる感情、そんなコントロールできない力が私に様々なことを考えさせ、私を突き動かす。アルチュール・ランボーが言った「私はひとりの他者である」という言葉を思い出す。私こそ私にとって常に未知なる者であり、ゆえに私自身もまた尊い存在である。私自身が一個の奇跡なのかもしれない……ナルシスティックだろうか?