跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/03/04 BGM: Pizzicato Five - 万事快調

今日は早番だった。1件職場で問題が起きる。以前ならこうして困った時は確実に自分は泣き寝入りしていただろう。ひどい場合はやけ酒をかっ喰らってネットで暴れて……そんな自分が見える。だが、今はジョブコーチがいるのでこうした場合どう動いていいか客観的な意見をもらえる。それがとてもありがたいことだと思う。もちろんそのジョブコーチ以外にも、発達障害を考えるミーティング絡みでの友だちがいるので彼らに頼ることもできる。そう思えば、過去と比べて改めて状況は変わったものだと思う。今がいいことばかりだとは思わないにせよ、そんな今に適応することが生きる鍵となることは間違いないわけで、私も気が抜けない。また、そんな状況を生きることが楽しいとも思う。少なくとも過去に生きて「早稲田に戻りたい」と願い続けるよりは幸せに生きられると思う。今日もまた仕事をこなした。

村上春樹『村上ラヂオ』を読んでいると、「自分を変えること」というか「自分が変わること」について書かれているのが目を引いた。自己変革、そして新しい人生。私自身も過去、こんな自分を変えたいとあれこれ頑張ったものだ。自己啓発の書籍を読み漁ったりして……アントニオ猪木は「負けを認められないやつは強くなれない」と言っているが、この言葉は自分の中で生きている(自分の失敗を認めるべき時は常にこの言葉を思い出すようにしている)。そして、これを広く捉えて「自分を受け容れられないやつは大きくなれない」とも思うようにしている。例えば私はアルコール依存症なので酒はまさに「地獄への片道切符」なのだけれど、その現実を受け容れて酒を呑まない人生を生きることを選ばないと自分は幸せになれない、というように。

今日、職場で私の英語メモを他の方が見る機会があって、とても驚かれた。職場では自分は結局は一介の「はみ出し者」なのだろうなと思う。自分でもなぜこんなにおかしなことばかり考えるのだろうなと思うこともある。流行に背を向けて(?)村上春樹沢木耕太郎を読み耽り、自分だけの流儀を守り続ける……思えば過去、アダルトチルドレン人格障害について考え込み素人判断で自分自身を精神分析しようとしたことを思い出す。人からも「お前は異常だ」となじられたり、人格否定されたりしたことを。今、私は自分自身を不完全でそれゆえに未熟な人間だと認める。だがそれを言い出せば誰だって完全ではありえない、歪な人間なわけだ。私はその現実を受け容れ、この自分自身に殉じて生きることを選ぶ。「聖者になんてなれないよ だけど生きてる方がいい」と歌ったのはザ・ブルーハーツだった(「TRAIN-TRAIN」)。

「和を以て貴しと為す」という言葉があるが、日本社会は揉め事を嫌う性格が強いとも言われている。私自身、過去にネットでさんざん揉め事に巻き込まれて、自分の心理的なリソースを割くことに汲々として日常生活にさえ支障を来してしまい、ずいぶん困ったことを思い出す。だが、今は上述したように職場での困りごとをあぶり出す作業を続けている。敢えて角が立つようなことをしている。その意味では自分自身は変化したのだろう。もっとも、私はベースの部分ではしょせんへなちょこでエッチだとも思う。そのベースの部分は恐らく一生変わらない。またこの話かよと嗤われそうだが、私は多分変わらない。50代になっても60代になっても、私は多分ずっとポール・オースターフェルナンド・ペソアを繰り返し読み耽って過ごすのかなあ、と。依存症は否認の病と言うが、私自身もかつてアルコール依存症を否認して生きていたことを思い出す。私はこのヘタレな自分を愛する。いや、愛せないかもしれないけれど、私は受け容れて呑み込むことを選ぶ。

「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください」(ニーバーの祈り)