跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/08/24

BGM: 小沢健二 "天使たちのシーン"

今日は休みだった。朝、例によって「朝活」としてイオンに行きオードリー・タン&アイリス・チュウ『何もない空間が価値を生む』を読む。前にも書いたが、オードリー・タンの本を読んでいると非常にポジティブな気持ちになれる。それは多分彼女が何物をも頭ごなしに否定することなく、ひとまず受け容れることを試みるからだろう。それはしかし甘っちょろい理想論ではなく、彼女が自身の優れた知性と感受性を総動員させて試みることなのだと思う。ゆえに嘘くささを感じさせない。彼女の脳内ではどんな思考が繰り広げられるのか、興味は尽きない。

彼女がいじめ問題に対して、「いじめがあっても、まず自分を好きになることが一番大事」と語っているのが興味を惹いた。私自身いじめられる過程で、自分を愛することができなくなり自己嫌悪に陥っていったことを思い出す。自分が異常であり、変人であり、ゆえに死んでしまえばいいと思って……ならば、どうやって私は今の自分を取り戻したのだろう。今の私は自分のことが好きだ。昨日も書いたが、完璧だとは言わない。むしろものすごくいびつだが、だからこそ私は自分を愛するとも言える。誰かと比べて優れているわけではない。私は大谷翔平ではない。が、ここにいる自分はオンリーワンである。だからこそ愛する……うまく言えないが。

言い方を変えれば、誰かと比べて優れているから自分を愛するのではない。私はここにいるこの私であり、それで全てであり、他にはありえない(むろん私のような凡人はこの世にゴマンといる。それを踏まえた上で敢えて言う)。吉田健一は「耳を澄ますと、自分の体が動いてゐるのが聞えるものであつて、それを聞いてゐるのが幸福な状態にあることなのだと思ふのである」と書いている(『わが人生処方』p.24)。頭でっかちに自分を好きになろうと試みるのではなく、例えば日向ぼっこでもしてみて陽光を体で浴びる。その時に感じる確かなぬくもりが、「私がここにいる」ということを端的に教える。その「ここにいる」の中に「天上天下唯我独尊」の真理を感じる、と思うのだ。

夜、断酒会に行く。そこで体験談を話す。イオンも「秋の旬」の表示が並ぶようになり、カキフライ弁当が売られるようになった。じきサンマの季節が訪れる。サンマは大好きな魚なのだけれど、サンマを食べるとビールを呑みたくなるので剣呑でもある……そんなことを話した。そうして弱みを披露することを通してずっと私は私の弱さを見出し、それを口にする作業を続けてきた。自分の弱さを知ることもまた自分自身を愛することにつながるのかもしれない。弱さを禁忌として闇雲に排除するのではなく、まずじっと対峙して観察すること。その中にこそ、健全な自己愛を育む鍵が隠されているのではないかとも思う。オードリー・タンならどう言うだろう。