跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/08/23

BGM: 小田和正ラブ・ストーリーは突然に

九州の友だちとWhatsAppで話す。私がヤマザキマリの本を読んだことを彼に伝え、そしてヤマザキマリの考え方のタフネスとブレイディみかこの姿勢が似ているように感じられたことを伝えた。すると彼もブレイディみかこの本を読んでいるようで、それが嬉しかった。奇しくもヤマザキマリブレイディみかこは日本を出てグローバルに活躍しているクリエイターだが、彼もゆくゆくは日本を出たいと考えているとのことで、私自身のことを考えさせられた。日本を出る……そんな将来もありうるのだな、と思ったのだった。もちろん言語の壁や文化の壁を超えなければならない、非常にハードな暮らしを強いられることは想像がつくにせよ。

いつも同じことを書いているが、私自身の人生を振り返ってみて40代初めのあの日の出会いがやはりすべての始まりだったことを思い出させられる。あの日以前まで、私はこの世に生まれてきたことをずっと悔いていた。両親は私を大事に育ててくれたが、クラスメイトたちは私が生まれてきたことをずっとなじり、お前なんかバカでクズでロクデナシだと始終責め続けた。それは学校を卒業してからも私の中で呪いとして残った。それで私はすっかり「生まれてきたことが間違っていた」「なぜ生まれてきてしまったのだろう」と自分のことを否定し続けていた……あの日までは。

あの日……私はただ「市内の発達障害の方のミーティングがあるから、来てみたらどう?」と言われて、ならば自分のことを話せたらと思って赴いたのだった。そこでとある女性と出会い、彼女の佇まいに一目惚れした。恋焦がれて、苦しい思いをしたりもした。彼女の聡明さに嫉妬を覚えたことすらあった。何を勘違いしていたのだろう。私はただ、私のままでいるだけでよかったのだ。もちろん私には至らないところは山ほどある。しかし、それと今のままの私の中にすでに魅力があるということは矛盾しない。読書が好きで、哲学的に物事を捉えるこの私の中にはすでに魅力が眠っており、充分に愛おしい存在である……そんなことを40代を通して、いろいろな方との交流で学んだ。40代とはつまり、私が自分の中に眠っている自信を鍛え直す過程だった。

そんなことを昼休み振り返っていて、ふとLINEで他の人に「もし自分の子どもが『生まれてきたことが間違っていた』と言ったらどう考えますか」と尋ねたいとも思った。それで文面を考えたのだけれど、なんだかいたずらに他の方を動揺させるだけだとも思ったので止めておいた。ああ、私は両親に「死にたい」「生まれてくるんじゃなかった」と漏らしたことがあった。この上ない親不孝だったはずだ。今、私は自分の人生を自分で切り開き、エンジョイしている。もう過去に背負った呪いから自由になって、今を生きている。それは親孝行になりうるだろうか。そうだったらいいなと思う。