跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/04/26

毛利嘉孝バンクシー アート・テロリスト』を読む。いつの間にか私たちの生活の中にバンクシーの芸術は入り込むようになった。彼の描くグラフィティが町を賑わせるようになってずいぶん経つ。でも、肝腎のバンクシーとはそもそも何者なのか。このコンパクトな書物はそんな問いに答えんといろいろな角度から彼を語る。現代美術という1つの軸だけで彼を語るのではなく、カルチュラル・スタディーズに詳しい著者ならではの視点でバンクシーを産んだ国であるイギリスの音楽や政治と彼との影響関係を語る。それ故に膨らみのある、侮れない一冊となっているように思った。

バンクシー アート・テロリスト』を読むと、私が持っているバンクシーのアートについても考えが及ぶ。というのは、ブレイディみかこ『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』でも彼のアートは表紙絵として使われているからだ。ブレイディみかこもまたバンクシーの国であるイギリスを拠点にヨーロッパの国々のその時々のリアルな状況をレポートしてきた書き手だった。明日以降、積読だったこの本を読めればと思っている。ずいぶん出版されてから日にちは経ってしまったが、中身は未だにアクチュアルであると信じる。

「映画を早送りで観る人たち」が話題になっていた(稲田豊史によるこうしたトピックを扱った本も出ていると聞いた)。私は購入したコンテンツをどう観ようが自由だとは思うが、私は倍速で映画を観たいと思ったことはない。小津安二郎タルコフスキーの映画を倍速で観るというのは何だか味気ない。あのまったりした、眠気すら感じさせられるようなテンポが生命なのだと思っている。倍速で観るとその旨味が消える。もちろん、繰り返すがこれは個人の性格にもよる問題なので人にどうこう言うつもりはないのだけれど。

夜、英語が使えたらどうするかについてエッセイを書く。この話題になると、人はむしろ知らないうちに容易く英語を使っているのではないかという逆からの疑念が湧いてくる。「サステナビリティ」や「SDGs」といった私からするとよくわからない言葉を容易く理解し、それを流通させている。確かに英語を使うというのはそうした単語を覚えるだけで済む問題ではないにせよ。私は、日本人の英語レベルが低いものだとは思わない。ただ彼らは使わないだけだ。使うようになれば彼らの内にある可能性はもっと花開くのではないかと思っている。がゆえに、彼らを喋らせるような何らかの起爆剤が欲しい。

BGM: Blur "Out of Time"