跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/10/03

今日はオフだった。午前中、ホン・サンスの映画『それから』を観る。ホン・サンスという人はロマンティストなのかな、と思った。だからこそ、この映画の中でも人は苦悩するしそれを赤裸々に語る。神を信じるかどうか、人を愛せるかどうか……それはそれこそ夏目漱石の登場人物たちにも似てセンシティブだ。よくある痴話喧嘩というか色恋沙汰を描いたこの映画にしても、心の細やかな機敏がよく描写されていて決して飽きさせることがない。思わず私も漱石の作品を読みたくさせられてしまった。ホン・サンスという監督、侮れないと思う。

昼、お寿司を食べる。今日はなぜかclubhouseで喋ろうという気になれなかった。図書館に行き夏目漱石の作品を借りる(こういうことに関しては私は仕事が早いのだった)。そしてグループホームに帰宅してそのまま昼寝をする。そして起きて、片岡義男の『英語と日本語』を読む。片岡義男の繊細な感受性が捉えた日本語の表現への違和感が面白く、ついつい読み耽ってしまった。私も日本語で感じた違和感を表現してみようか、と思わされた。それをコラムという形で書いてみるのも面白いかもしれない。やってみようか……。

小津安二郎小早川家の秋』という映画を観る。小津安二郎の映画は構えて観てしまう。これはお叱りを受けるかもしれないが、私は映画に限らず芸術というものはそれと戯れるくらいの気概で観ても構わないと思っている。だが、小津の映画は「クラシック」だからなのか、観る前に気合を必要とする。この映画も人の死を描いており、その死のあとにまた次の世代の生が訪れて私たちの世界は続いていくという普遍的な真理を表現しているかのように思われた。娯楽映画なのにこんな深い真理を描く小津が興味深い人間として思われた。

夜、3本目の映画を観ようかと思ったのだけれど流石に疲れてしまったのでぼんやり過ごす。片岡義男の『10セントの意識革命』を読み進める。片岡義男の文章は難解なところがあるが、理知的に描かれているので私も相対的に意味を捉えやすい。ナイーブな印象を感じさせる文体に惹かれる。しかし、途中まで読んで眠くなってきたので本を閉じてしまいあとはうつらうつらしてしまう。友達に倣って「これでいいのだ~」と、自分の時間の過ごし方を肯定したいのだがなかなかうまく行かない。無駄に時間を過ごしているような気もしなくもないのだった。