今日は発達障害を考えるミーティングがあった。コロナ禍はまだまだ続くと見てオンラインで集まったのだけれど、発達障害について学べる楽しいひと時となった。今日特に強く思ったのは、参加するメンバーが個性がバラバラなので色んな意見を色んな立場から聞ける。ビートルズを連想した。ジョン・レノン的な天才肌も居ればポール・マッカートニーみたいな優等生も居て、そういった個性の強い人たちが調和を試みることで真にクリエイティブなものが生まれると思った。私はリンゴ・スター的な「縁の下の力持ち」みたいな存在なのだろうか。
時折、本を読むのが趣味であると語ると「どんな本を読むんですか」と訊かれてしまう。この問いに正確に答えようとすると、今なら「昔から愛読していた村上春樹と、あとは最近は片岡義男を読んでいます」となろうか。村上春樹の名前は有名なので通じやすいのだけれど、片岡義男の場合は「『スローなブギにしてくれ』を書いた人です。読んだことはないのですが」と言うしかなく、私が読んだ範囲の彼の仕事を紹介することになる。相手が求めている答えはこういうマニアックな答えなんだろうか、と不安になりながらも答える。故にこの問いは難しい。
今日は『村上春樹全作品』の中から、短編集『中国行きのスロウ・ボート』と『螢・納屋を焼く・その他の短編』に収められているものを読んだ。まだまだフレッシュな新進気鋭の作家だった頃、『ノルウェイの森』を発表する前の頃の村上春樹の作品だ。リアリズムに徹した、レイモンド・カーヴァーにも似たミニマルな作品に惹かれる。春樹と言えば私は象工場や小人が登場するような奇想のシュールさにも惹かれるのだけれど、今回の読書ではそんなトリッキーな要素より、直球で勝負している正統派の作家としての姿が見えてくる要素に惹かれた。
それを読み終えると、図書館で借りてきた片岡義男『珈琲が呼ぶ』を読み始めた。ただ、流石に1冊の本を頭にインプットしたらキツい……「アウトプット」の作業が必要となり、結局読書はそれ以上進まず。この「アウトプット」、つまり誰かに相談したり愚痴を言ったりといった作業の重要さを思う。それで解決することにならなくとも、気持ちが整理できる。私はひとりで抱え込んでうずくまってしまう人間なので苦労する。今日はオーストリアの女性と久々にチャットをして過ごした。こうした英語でのチャットが私にとっての癒しのようだ。彼女がやっている読書関連のグループに参加させてもらった。彼女は日本通なので、ブレイディみかこの本を紹介したいと思っている。