爽やかな朝。マシュー・スウィート『ガールフレンド』が沁みる。このアルバムを私は90年代に初めて聴いたのだった。好みということで言えばその後に出た『100% Fun』の方が好きなのだけれど、それでも彼の名盤であることには変わりはない。90年代、そんな時代があった……「渋谷系」音楽やフィッシュマンズを聴き、村上春樹や阿部和重を読み漁った時代だ。今思い返すとすべて幻のようだったようにも思われる。だが、私の中で当時考えたことは血肉化している。否が応でも当時を生きたことは否定できないし、したくもない。
朝はどうしても気力が湧かないのだけれど、それでもclubhouseやDiscord、WhatsAppをチェックして英語でチャットし始めると気力がまた湧いてくる。特に今は「ふれあい祭り」のこともあるので、鬱だなんだと騒いでばかりもいられない。英語という言葉は私の中で不思議なポジションにある。もちろん母国語ではない。だが、外国語として真剣に学ぶということからもずれている。ただ楽しいから学ぶ、ただ友だちを作りたいから学ぶ……というところに今の自分は英語学習を位置づけている。だから私は英語学習にまつわるライフハックとはまた違ったところにいる。
日本のポップソングに顕著だが、英語を喋れればカッコいいという風潮がある。私はそれを否定しない。日本語のしがらみから解かれて異国語で考えたい、という気持ちは多くの人が持っているものだろうと思うからだ。だが私は日本語の美しさ、あるいは日本語の豊かさについてももっと学びたいと思っている。中上健次も谷崎潤一郎も十分世界レベルの作家だと思うのだけれど、彼らの凄みは日本語で読んでこそ堪能できるのではないか。少なくとも彼らが日本語で残した作品を読むことは私たちの日本語をヴァージョンアップさせる。
最近、本当に疲れているようで本当ならやらなければならない作業があったのだけれど早々に眠ってしまった。ともかく依頼されていた仕事はこなしたいと思う。そして、また村上春樹の再読を始めたいとも思う。村上春樹の文学もまた、英語に訳しやすい文章ではあるにせよ実は私たちの日本語をダイナミックに変えたのではないかと思っている。根拠はないので私の妄言かもしれないけれど……少なくとも私が書く日本語の中に、村上春樹や片岡義男の文章を読んで得た影響はかなり残っていると思うのだった。片岡義男の『日本語の外へ』を読んで衝撃を受けたのも今ではいい思い出だ。