跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/08/21

BGM: R.E.M. "Sweetness Follows"

今日は月に一度行っている「発達障害を考えるミーティングの会」の日だった。今回もいつものようにZOOMを各自が立ち上げ、オンラインで集まる。この集いが始まってから5年ほど経つだろうか。つまり私の40代はほぼこの集いと共にあったわけで、私が曲がりなりにも人間的に成長できたとするならそれはこの集いで知り合った方々の好意のおかげである。私は今回、自分の職場で起きた体験を話した。そこから、どうジョブコーチを利用すべきか……ただ、私が考えていたジョブコーチのイメージは誤解だったらしくそれが恥ずかしい。まあそれがきっかけで正しいジョブコーチの知識を得られたのだから、これは結果オーライと言うべきだろう。

会が終わったあとイオンに行く。と言っても何か特別なことをしたくて行ったのではなかった。イオンでサリンジャーナイン・ストーリーズ』を読み始める。思えば読書メーターというサイトで読書の記録をつけ始めたのが40代初めだった。考えてみれば40代初めという歳は私が断酒を始めた頃合いでもあり、映画を観始めた頃でもあり、つまりは人生が始まったとさえ言える年齢だ。普通は40代とはもっと脂の乗った、20代・30代に始めた活動が軌道に乗る歳だと思うのだが、私はずいぶんスロースターターだったということになる。こんな人生というのも世の中には存在するのである。

ナイン・ストーリーズ』を読むのは何度目になるだろう。実を言うと『キャッチャー・イン・ザ・ライ』よりもこの短編集の方が好きだ。今回読み返してみて、本当に死の影が濃く出た血腥い作品集だなと思った。若い頃は冒頭の「バナナフィッシュ日和」に惹かれたものだが、今読むと全体的にディスコミュニケーションを感じる会話が不吉に響く。最後に収められた「テディ」で、語り手が対峙する少年が語る「死」が重くこちらにのしかかる。ある意味(我流の荒っぽい解釈ではあるが)村上春樹川端康成が描写する「死」のような……いや、誰が書いても「死」とは不吉なものではあるだろうが。

そんな短編集を読んでしまったからか、ふと「おれもいずれ死ぬのだな」と思い始めた。それで、早すぎるとは思うものの「終活」の始まりとしてR.E.M.の『Automatic For The People』を聴き始めた。このアルバムに初めて触れた10代の頃、青臭いガキだったくせにもう人生をわかったような口を利いて生意気に暮していたっけ。その頃はもちろん、こんな人生が待ち受けているとは思わなかった。「明るい未来」なんていつだって存在しなかった。道なき道を、あるいは白夜のような現実をひた走る。それが気がつくとこんな軌跡を描いていたということになる。40代から始めた活動にしたって、ここまで続けられるなんて露ほども思わなかった。まあ、それが人生というものだろう。