跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/08/06

BGM: 岡村靖幸「だいすき」

思い起こすこと今から23年前、私は東京の大学を卒業したはいいものの就職先が見つからず、そのまま実家に戻ってきた。そして半年ほどニートの時期を過ごし、通っていた精神科の医師と相談して「そろそろ社会復帰のつもりで半年ほどやってみたらどうですか」と今の会社で働き始めることになったのだった。それから今に至るまで、私はずっと働き続けてきた……7年ほど前だったか、運命的出会いがありその方を通してジョブコーチのことを知った。今の職場で利用できればと思って働きかけ、そしてそれがいよいよ軌道に乗ろうとしている。

ああ、23年……その間自分が自閉症者であることを知り、どうあがいても「普通」の人間にはなれないことを思い知らされ、一時は絶望もしたのだった。就活中に始めた飲酒癖が嵩じて40歳までずっと酒に溺れ、酒で死ねるなら、とりわけカフカのように40で美しく死ねたらとまで思ったこともあった。だが、人生は捨てたものではない。仲間との出会いがあり、それを通して本腰を入れて自分の自閉症と向き合うことになり、自閉症が孕む可能性について考え直すことができるようになった。アッバス・キアロスタミの映画のタイトルを引けば、「そして人生はつづく」のだ。

こんなところでは終わらない、おれはビッグになる、作家になって人生一発大逆転だ……とまで思い小説を書いたこともあったっけ。書くことは結局プロになろうがなるまいが止められないので今日もXTCの『English Settlement』を聴きながら英語について書けないものかと考えたりもした。過去を思い返して感傷に耽ることはそんなにないのだけど、今思い返してみればそれでも23年、ずいぶん修羅場を潜ってきて大変な思いをして、自分を成長させてきたものだと思ってしまう。悪くない23年間だった。結局成功者にはなれなかったが自分自身は健闘したのではないかと思う。

もう47歳ともなれば若くもないのだから、自分を待ち受けている死について、あるいは老後について考えないといけないのだろう。私は結局スットコドッコイな人間なので50代になるとまったく違うことを始めているかもしれない、と思う。気まぐれから落語にハマったりしているかもしれないし、それこそソウルメイトと出会っているかもしれない。どんな風に人生が変わろうとも、私は私のままで居たいと思っている。ただ、そろそろ今まで読まず嫌いで通ってきたディケンズを読んだりすることも考えないといけないのかな、とも思う。これは知識において他人を圧倒するためではなく、自分自身の人生をもっとコクのあるものにするために。