2022/06/10

ダグラス・マレー『大衆の狂気』を読み始めた。実に面白い本だと思う。自分自身のことを反省させられる。この本で扱われているのは「ゲイ」や「女性」といったアイデンティティを主張しすぎることの弊害だが、私自身は過去に自分自身が自閉症者であることにこだわったことを思い出した。自閉症者であるがゆえにマイノリティであり、したがってマジョリティと同じ特権を享受できないという意味で被害者である……こうした狭い見地から世界を見ていたことを反省させられる。なかなかいい本とめぐり会えたと思った。

思い出すのは、私自身生きることがラクになるように数々の思想を渡り歩いたということだった。コスプレのように、外部にある思想に自分自身を当てはめてそれを信じようとした。大学生の頃は左翼というか極左の思想を信じ、その後アダルト・チルドレンに関する本を読み漁り、30代の頃は人格障害について学んだ。そして、今は自閉症者であることを自覚している。だが、その自閉症者であるという自覚が足かせになってはいないか。自閉症は私自身に数多あるアイデンティティのひとつではないか。人間はそう単純なものではないはずだ。

自閉症者はこんなにも苦しい人生を歩んでいる」と主張することは、時に「定型発達者はこんなにもラクチンな人生を歩んでいる」と語ることとイコールではないか、とも考えた。それはマレーの本で、ゲイとして生きることが美化されがちであるという指摘を踏まえてのことだ(ちなみにマレー自身もゲイらしい)。もちろん、そんな安直な結論に走ることは非現実的である。そんな「基本の基本」をマレーの本は教えてくれる。わかりやすい論旨で描かれた、真面目な本だと思った。これからも少しずつ読み進めていきたい。

自閉症は、私という複雑で多彩な存在を語る上でのラベリングのひとつにすぎない、と改めて考えてみる。私とはもっと多様なカオスであるはずだ……何だかひと昔前のニューアカデミズムの思想みたいだ。だが、そのカオスを私自身が解明するために自分探しの一環として数々の思想を纏っては捨てて、ずいぶんあがいたものだと思ってしまう。私は私にさえ説明がつかないものである、ということでいいのではないだろうか。言葉でこうして私自身を捕まえようとしても、次の瞬間にはそんな言葉を裏切って私は変化していく。変わっていく。