自分は何をしているんだろう、と思う。この人生で、自分が成し遂げようとしていること……どうやら自分は自分の人生の目的を見失ったのかもしれない。私は作家になりたいと思っていた。そのためにずいぶん頑張った。でも、それは夢で終わりそうだ。それでもいいと思っている。というのは、また別の目的を見つけたからだ。それが人生なのだろうか。「夢は必ず叶う」という言葉は結局嘘に過ぎなかったのかもしれない。夢は叶わないかもしれない。だが、誰の人生にも奇跡というやつは起こるのかもしれない。そんなことを考えた。
人生の目的を見失ったとしても、私は本を読み考えることは止めない。それが私の性分なのだろう。今日は木田元の本を図書館で借りて、ミュート・ビートを聞きながら読み始めた。ミュート・ビートのコミカルでホットなグルーヴが心を癒やす。人生にはこういうコミカルな要素が必要なようだ。真面目すぎるのも考えものだ……木田元の本に、著者は人生に迷った時はハイデガー『存在と時間』を読むと書かれていた。私が自分の人生に迷った時(まさに今がそうだ)、読む本は何だろう。やはり村上春樹『ノルウェイの森』だろうか。
ニーチェやハイデガーを読む……と言っても私の理解は入門書の次元のものでしかないわけだが。私が抱えている問題は哲学の次元で解けるものなのだろうか。人からは私の考え方は哲学的だと言われるし、確かに中島義道『哲学の教科書』を読むと私に必要なのは哲学かもしれないと思う。しかし、文学の次元から解くこともできるのではないかとも思う。ロシア文学、例えばドストエフスキーを読むことが必要なのだろうか。それとも古井由吉や村上春樹を読み返したり、カミュやル・クレジオを読むべきなのか。そんなことを考えている。
ああ、職場で仕事をする意味も見失いそうだ……でも、いつ私は今の職場での仕事に意義を見出せたのだろうか。そんなに大層なことを考えて仕事をしてきたわけではない。ただ食べていくために始めた、カフカの言い方で言えば「パンのための仕事」だ。でも、運命的な出会いからジョブコーチという制度を知り、発達障害を抱える人間としてその制度を利用したい、発達障害者が働きやすい職場になればいいと思って、ずっと頑張ってきたのだった。20年以上食らいついてきた仕事。それはずっとこの私を鍛え上げてきた……。