跳舞猫日録

Life goes on brah!

英語なんかこわくない 4

今日、ぼくはclubhouseで出会ったとある女性に薦めてもらった『グッド・ドクター 名医の条件』の第一話を観た。このドラマは韓国版と日本版、アメリカ版があると聞いたのだけれどぼくが観たのはアメリカ版で、第一話を観ただけで少し泣いた。このドラマは自閉症の天才医師(ギフテッド?)の物語なのだけれど、ぼくも見覚えのある事柄がいっぱい入っていたからだ。折り目正しく方向を決めて歩く主人公の癖、そして雑多な情報が入り乱れた飛行場の風景、即断即決で(周囲を驚かせつつ)事柄の本質に切り込む向こう見ずな勇気、初対面の人にあけすけに自分の持つ心象を語るところ、などなどだ。

ぼくもまた発達障害者で子どもの頃からずっといじめられっ子で、変人扱いされて育ってきた。だから、大人になってからも疑心暗鬼で生きてきた。相手がもし悪意を持って近寄っているとしたらどうしよう。いや、今は善意で近寄ってくれているかもしれないけれど、いずれこの人もぼくを嫌いになるのではないだろうか。そんな不安を今でも感じることがある。ぼくは一方では、嫌われるのはしょうがないかな、と諦めているところがある。発達障害自閉症というのはやはり「変」なものなので奇異に見えて、奇異だから受け容れられないと思われても仕方がないかなとは思うからだ。でも、できることなら好かれたいという気持ちもある。

英語で表現を始めることの足かせになるのは、そういう「嫌われたらどうしよう」という心理もあるのではないかと思う。もし「変」な英語を喋ったらどう思われるんだろう。いや、私の英語は「変」に違いないからダメだ。そんな風に考えてしまって縮こまる人もいるのではないかと思う。それはそれで当然の心理だと思うのだけれど、ぼくは「変」というか「ユニーク」な英語でいいんじゃないかと思う。ぼくの英語だってかなり「Formal」(形式張った)だと言われることがある。でも、他にどうしようもないのでこの「Formal」な英語を話して、相手に伝えることにしているんだ。そうすると相手もわかってくれる。

そうして考えて自己主張するようになって、不思議なことにぼくは人から好かれる率が高まったように思う。いや、「率」というのはおかしな話だけれど(かけがえのない人間である誰かに好かれたり嫌われたりするのはやはり大事なことかな、と一方では思う)、嫌われるのはまあ仕方がないかなあと構えて生きられるようになったせいで余裕が出てきた、ということかもしれない。それは『グッド・ドクター』の主人公の生き方そのままのようで、その生き方は逆風を招きやすいだろう。でも、ぼくは自分の英語力で誠実に話せば、少なくとも何某かは相手にきっと伝わる、と楽天的に思うようになったんだ。