跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/02/26

いつの頃からか、戦争について考えるとピチカート・ファイヴの音楽を通して知った「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」という言葉を思い出す。この警句めいた言葉は吉田健一によるもので、小西康陽のモットーでもあるらしい。私自身、この言葉を心の支えにして平然と音楽を聞いたり、つとめて美味しいご飯を食べたりいい本を読んだりしようと思ってきた。だが、この言葉はどういう文脈で語られたことなのか実を言うと知らないのだった。それで調べてみたのだけれど、なかなか原典に当たれない。調べたらこんなnoteを読んだ。

note.com

この吉田健一の言葉は、このnoteによると次のような前置きがあってこそらしい。長くなるが引用する。「戦争に反対する最も有効な方法が、過去の戦争のひどさを強調し、二度と再び、……と宣伝することであるとはどうしても思へない。戦災を受けた場所も、やはり人間がこれからも住む所であり、その場所も、そこに住む人達も、見せものではない。古傷は消えなければならないのである」。つまり、過去に留まらず今を生き、前へ前へ進まなければならないというポジティブ思考(?)からくるものなのだろう。それがあってこその「戦争に反対する唯一の手段」が語られるわけだ。

もちろんこの意見/見解に異を唱えることもできる。おまえは何を言っているんだ、過去の惨禍から学ばない運動は刹那的に終わるのがオチだろう、と。確かにそれもそうだと思うが、吉田健一ともあろう者がそんな初歩的な反論に躓くような人物だとも思えない……とここで私の中の漫才が始まってしまうのだった(日々、こんな漫才を私は脳内で繰り広げている)。私はそれでも吉田健一の傍に立ち、シリアスで冗談を許さない「戦時」の空気に反して軽薄/洒脱に振る舞いたいと思っている。その実践の第一歩として今日も仕事をこなした。

夜、clubhouseで友だちと英語でやり取り。奇しくも私が喋った相手は女性2人だった。彼女たちと話す中で自分の中の大事にしたいものが見えてきたように思う。それは繰り返しになるが、「戦争」に抗うことは私の中の譲れないものを譲らないことであり、「嫌だから嫌だ」というふてぶてしい態度で生きることだ。それが子どもじみた態度だと言われるのなら、子どもでなにが悪いと言うまでだ。どうせならそれこそ坂口安吾のようなガキ大将のスピリットを持ち続けていたい。したり顔で語る現実主義や、その単純な裏返しとしての条件反射的な反戦の思想ではない、自分がしっくり来る生き方を編み出し、「それに執着する」ことにしたいと思う。