跳舞猫日録

Life goes on brah!

青春

2022/01/12

親愛なるマーコ・スタンリー・フォッグ様

今日、ぼくは図書館に行きました。そして2冊の本を借りました。ひとつはアニエス・ポワリエ『パリ左岸』、もうひとつは『サミュエル・ベケット証言録』です。片方は第二次世界大戦の頃にパリに集った作家や表現者の青春を描いた書物で、もう片方は演劇や文学の世界で名高いひとりの巨匠の人生に肉薄した書物です。どちらにもサミュエル・ベケットが重要人物として現れます。ですがぼくは情けないことにベケットの演劇や文学に触れたことはありません。ベケットの代表作「ゴドーを待ちながら」はYouTubeで観られないかな、と不謹慎なことを考えています。

とりあえずぼくは『パリ左岸』を読み始めたのですが、ここに登場する芸術家のタマゴたちの姿にあなたのことを思い浮かべました。コロンビア大学に通っていた頃、本が詰まったダンボールの箱たちを家具に見立てて暮らしていたあなたのことです。と同時に、ぼくのことも思い出しました。ぼくは早稲田大学に通っていた頃学生向けの四畳半一間のアパートで、クーラーもなく扇風機だけで暑さをしのぎながら、壁に背をもたれてあなたの登場する『ムーン・パレス』を読み(おかげで壁にシミができました)、あなたの冒険や放浪に思いを馳せたのです。

でも、青春ってそんなに美しいものなのでしょうか。いや、ぼくもハタチ頃の若者たちの姿を見れば若さに羨ましさを感じなくもありません。今、ぼくの肉体には陰りが見えているし脳だって衰える一方でしょう。これから老衰していくんだ……と考えると少し憂鬱になります。その意味では伸び伸びと成長していける若者たちには無限の可能性が広がっていると言えます。でも、そんな「無限の可能性」と一緒に「私って何者なんだろう」と苦悩をも背負わなければならない。それが青春なのではないでしょうか。ぼくはそう思うのです。

ぼくは今でこそ、発達障害という障害を抱えて生きなければならないことを覚悟しています。発達障害故に諦めたことはそれなりにあります。でも、そうやって要らない可能性を捨てて自分が本当にしっくりくる可能性だけを追求しようと思ったところからぼくの人生はスタートしました。マーコ、あなたもそうだったのではないですか? あなたは『ムーン・パレス』で語られる冒険の末に大事なものをいくつも見つけます。と同時に、大事なものを捨てたり失ったりせざるをえません。『ムーン・パレス』の最後、すべてを喪失したあなたが見つけた巨大な真理についてぼくは思い出すことができます。

敬具

踊る猫