跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/01/11

BGM: Paul Weller "Sunflower"

今日はオフだったので実家に帰った。正月間、ずっと仕事をしていたのでなかなか帰れなかった。だが、帰ったといっても特にこれといってなにか特別なことをやるわけでもなく、両親と3人でコタツを囲みながらそれぞれパソコンを弄ったり『水戸黄門』や大相撲を観たりするくらいだった。それだけで3時間あっという間に過ぎてしまった。私は実家の本棚から十河進『映画がなければ生きていけない 1999-2002』という本を取り出して読み始めた。これがなかなか面白い本で、2度目の読書となるのだけれど惹き込まれてしまった。

十河進が2018年に至るまで書き続けてきた、この「映画がなければ生きていけない」というコラムの単行本全6巻を私は持っている。彼のコラムはひとりの小市民が抱く、己の仕事に対する矜持や生き方に関する省察、映画やジャズに関する知識などが開陳されておりとても読みやすく、かつ渋い。私はこのコラムを40歳になった頃知って読み始めて、十河進という人が40代の終わりにこれらのコラムを書き始めたことを知り励まされたように思ったのだった。まだ自分にも時間はある。40代の終わりにこうした文章が書けるようになるまでに己を熟成させればいいのだ、と。

仕事に関するプロ意識とはなんだろう、とコラムを読みながら考えてしまった。私は今の仕事を20年以上続けているのだけれど、プロとして誇れるものがあるだろうか。あるいは、書くこともずっと続けてきたことなのだけれどそれで食っているわけではないのでプロなんてものは名乗れない。自分は所詮、仕事もダラダラ続けていて書くことも日曜大工的に楽しんでいる、自己満足の半端者なのかなあ、と思わなくもない。だが、与えられた機会において毎回精一杯の力を出しているつもりではある。こういうのはどういうポジションになるのだろう。

40歳を過ぎてみて思うのだけれど、若い頃はもうこの年齢になると楽しいことなんてあらかた経験し尽くしてしまい、フレッシュな気持ちでは居られなくなると思っていた。だが、いざ今になってみると『水戸黄門』を見ているだけで「こういう工夫が飽きさせない秘訣なのだな」とわかってくる。40を過ぎて観始めた映画も観れば観るほど渋みがわかってくる。小津安二郎東京物語』なんてオチがわかっていても「いつ観てもいいなあ」と楽しめる。むしろ今のほうがフレッシュさという意味ではかつてより若く居られているような、そんな気がする。