BGM: Original Love "JUMPIN' JACK JIVE"
今日は空が青かった。爽やかに晴れた日……前にも書いたが、こういう日は自分が酒に呑まれていた頃のことを思い出す。発達障害のせいで自動車を運転できないのでどこにも行けず、したがって家でたったひとり、晴れた昼下がりに「なんで生まれてきたんだろう」と思って呑んだくれていたのだった。ああ、愚かだった……世の中を呪い、政治を呪い、自分自身を呪った。今、やっと自分の身の丈に釣り合った幸せを手に入れられたと思っている。だからもう呑まれていた頃には戻りたくない。酒も呑みたいとは思っていない。
今日、ランチを食べながら「おれは一体なにをやっているんだ」と思った。早稲田を出て、色々あってここにこうやって座っている……随分遠い道のりを歩いてきたものだ。仕方なく、という要素はあったかもしれないけれど、自分は歩く道を歩くべくしてここにたどり着いた。つまり、自分が選択してここにやってきた、とも言える。この選択を他人のせいにしたくない。自分が腹を括って生きているからこの人生がある、と思いたい。そう思うと自分の人生に責任が生まれる。同時に、自分が自分の人生をドライブできるという実感も生まれる。
かつて、こんな仕事は誰でもできると思って腐っていたことを思い出す。それは今でも思っている。私の仕事は誰だってできる。だが、「誰でもできる」という意味ならヒップホップを作ることだって、小説を書くことだって「誰でもできる」だろう。そこから人によって個性が発揮され、マジカルなものが生まれる。それが仕事の醍醐味なのだろうと思う。なら、私は一体なにを生み出せるのだろうか。今日も仕事をこなした。プロの仕事ができたか私にはわからない。ただ、自分の仕事を気に入っていることは確かだ。自己愛で独りよがり、と言われるだろうか。
夜、古井由吉のエッセイをいくつかパラパラ読む。『私のエッセイズム』『魂の日』『東京物語考』などだ。古井由吉の書くものを読むようになって随分経つ。自分の内側を探っていくことで人間の真理にたどり着く、という作風にずっと惹かれてきた。私も今は世の中に物申そうという気が起きず、自分のことに関心を持っている。一体自分はなにに惹かれるのか、なぜ自分はこうなのか。だが、映画モードの脳のせいか本腰を入れた読みができなかった。気分屋でムラがある自分自身を受け容れ、手懐けつつ「なあなあ」でやっていかないといけないのが厄介だ。