Back To Life

Back To Reality

2021/12/18

BGM: Dead Can Dance "The Carnival Is Over"

雪が降った。朝起きてみると、うっすらとではあるが雪景色が広がっていた。ふと自分の過去を思い出す。酒に呑まれていた頃、雪見酒と称して雪を見ながら酒を浴びるように呑んだこと……興趣もなにもあったものではなく最終的には酔いつぶれてしまったことを思い出す。バカなことをしたものだ……森富子の『森敦との時間』という森敦の評伝小説を読んでいるのだが、今年の雪との付き合いは森敦の小説『月山』や『われ逝くもののごとく』を読んで過ごすのがいいかもしれない。もちろん酒は呑まない。あるいは藤沢周の小説を読んで過ごすのも面白い。

その『森敦との時間』に飽きると、フェルナンド・ペソア『不安の書』を再び読んで過ごす。ペソアのこの本を読んでいると、極めて高い知性を備えているが故の生きづらさというものがありうることについて考えさせる。身の回りで起こることにうんざりしていながら、しかし生きることを諦められず生きている……そんな人生があるのだなと思ってしまうのだ。そしてこんな優れた作品に触れると、自分も到底届かないにせよ同じように書けるのではないかと思ってしまうのだ。書くとしたらタイトルは"Dead Can Dance"にしようか、と思ってしまった。

自分はこの人生に満足しているのだろうか? と考えてしまった。あるいは、この自分自身に満足しているか? もちろん金はもっと欲しいし、もっと低俗なことを言えば女性だって欲しい。他にも欲しいものはある。だけれど、今でも自分は好きなように書けて好きなように発信できているので、「これでいいのだ」と構えてしまう自分も居る。昔とは大違いだ。昔はなにを書いても満たされず、もっと「僕を見て、僕を褒めて」と他人に訴えていたように記憶している。承認欲求が強く、また他人の成功に嫉妬もしていたのだった……。

小説を書く……どうしてそんなことを考えるのだろう。今、日記を書いていてそれで手一杯なのに。それにどうせ書いたとしても駄作になるかもしれないのに。あるいは、書いたとしても大江健三郎古井由吉を超えるものなど書けようがない。だが、どこかで書くことを諦めきれない自分が居る。ならばアマチュア仕事でも構わない。書くまでだ。今日、仲良くして下さっていた女性が京都に移り住むのだとLINEで教えてくれた。その人は同い年なのだけれど、未だに自分の人生を切り拓くことを止めない。そのエネルギーに触れ、自分もこれから一生を費やして登れるところまで登りたいと思った。森敦のように。