跳舞猫日録

Life goes on brah!

心を溶かす

Facebookで書き始めた日記が、そろそろ半年になろうとしている。過去のものを読み返すことなどめったにないのだけれど、それでもランダムに読んでみると自分の関心のとっちらかり具合に呆れてしまう。脳科学の本を読み漁ったり、古井由吉『仮往生伝試文』を読んだり……これではしつこく専門的な知をコツコツ積み上げていく学者には到底なれっこないなと思う。発達障害とは不思議なもので、一方ではこだわりの強さやしつこさ、妙な生真面目さや勤勉さが特色として挙げられうる。だが、同時にこうした飽きっぽさも特色であるようなのだ。

今日は古井由吉の『仮往生伝試文』を読み返した。この本の読書も、丹念に腰を据えて読んだというより飽きて投げ出していたものを途中でふと手に取り、ページを繰ったら読めたのですんなり読んだという極めて雑な読書によるものである。ぼくはこの本を8周していることになるが(読書メーターで確かめた)、そんな雑な読み方をしているので到底威張れたものではない。『仮往生伝試文』の読書が終わるとフェルナンド・ペソアの『不安の書』を読み返したくなり、パラパラ読んでいるのだけれどこれだっていつまで続くかわからない。

読書とはなんだろう、と考える。こんな飽きっぽい読書をしているのだから、学識のためとか向上心故のことだとかそういう真面目な目的からではないのは確かだ。40歳で酒を止めたぼくにとって、シラフで生きるのはある種つらいところがある。そのつらさを紛らわせるために適当な本のページを開き、活字を拾う。すると、うまくいくと心がその活字に吸い込まれて時間を忘れてのめりこむことができる。そんな、心が溶けていくような体験を求めて本を読んでいるのだろうと思う。ひどい読書もあったものだ、と我ながら思う。

最近はそんなふうに、新刊に手を伸ばすこともなく昔読みふけった古井由吉フェルナンド・ペソア、そして十河進を読み返している。自分でも読んでいてどうなりたいのかわからない。どう役に立つのかわからない。ただ心を溶かすための読書を楽しんでいるだけだ。そうやってたくさん読んだことがきっかけで、自分でも書いてみたいと思いこんなとりとめのない文章を書いてみたりする。今日、久々に『仮往生伝試文』を読んで自分でもなにか書いてみたくなって、こんな文章を書いてみた。毎日書くのはもちろん無理なので、ボチボチ続けていきたい。