跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/01/16

古井由吉『仮往生伝試文』を読み終える。といっても、腰を据えて読んだわけではなく途中まで読んで投げ出していたものを再び読んだだけなので、威張れた読書ではない。その後フェルナンド・ペソア『不安の書』を少し読む。自分にとって読書とは所詮こういうヒマつぶしなのだなあ、と呆れてしまう。シラフで生きるつらさを紛らわせるために読んでいる、という。そう考えてみると生きていること自体がヒマつぶしでもあるように思えてくる。こうして思考が極端になってくるとたいていロクなことがないのだけれど。

古井由吉『仮往生伝試文』を読んだのはこれが8回目である。読むたびに新しい発見がある。暗記することなど私には無理なので、こんなドン臭いというか要領の悪い読書をこれからも続けるのだろうな、と思う。自分もこのような日本語を書きたい、と思うがこれも到底無理だろう。教養も才能も欠けている。それに、私は私の日本語しか書けない。だからこれに関しても憧れは憧れで留めておいて、自分の道を追求したほうがよさそうだ。そんな感じで、沢木耕太郎十河進の本をあれこれ齧って夜をやりすごしてしまった。

今日は発達障害を考えるミーティングの日だった。皆でいろいろな悩み事や問題を持ち寄って俎上に載せる。私が持参したのは職場での問題だった。いろいろな意見が出て、私としては皆が私のために知恵を絞ってくださったのがとてもありがたかった。私は今の企業で20年以上働いていて、よその企業のことを知らない。だから他の企業での就業経験がある人が様々なアドバイスをしてくださったことを嬉しく思った。それを活かせればいいのだけれど、さてどうしよう……悩むところだ。まあ、一朝一夕では変えられないことだ。

部屋の整理や金銭管理についてもいろいろな意見が出た。これらに共通していることは、隠れているけれど確実に存在する悩み事(英語で言うところの「部屋の中の象」だ)を明らかにさせること。そこから、金銭の使い方では一日にどれだけお金を使えるか書き出すこと、部屋の片付けでは種類別にケースを使って整理することなど「見える化」を施すこと。そういったアイデアが出た。私も金銭管理も部屋の整理もまったくできていないので、耳に痛いところがあった。明日からやれるところからストレスなくやっていけたらなと思う。