跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/01/07

BGM: Phil Collins "Another Day In Paradise"

古井由吉『私のエッセイズム』を読み終える。この本に収められたエッセイのある一編を読んで、私自身の「あり得た人生」について考えた。「あり得た」「あり得たもうひとりの自分」……もし就職氷河期にぶつからなければ東京で就職できていたかもしれない。出版社かその他マスコミで仕事をしていたかもしれない、と。考えるだけムダな話ではある。だが、そんな自分自身があり得たことを考えて生きることはある意味ではこの自分が無力な存在であること、ちっぽけな人間でしかないことを確認することでもある。自分の小ささを自覚させられることは悪いことではない。

是枝裕和の映画の登場人物のような、「どこで間違えたんだろう、私の人生」という詠嘆を感じることは私もないでもない。早稲田に居た頃はこんな仕事をして生活するなんてことは考えもしなかったな、と。どんな仕事をして生きるが自分にとって幸せなのか……どんな仕事に就こうが、私は結局本を読み映画を観てそして過ごすだろうから、その意味では自分の中の幸せははっきりしていると言える。私は多分一生ものにならないかもしれないが、書き続け考え続けるだろう。それが私の性分なのだろうと思う。それでいいのかな、と。

古井由吉を読むようになってどれくらい経っただろう。『私のエッセイズム』に収められたドイツ文学や日本の文学、創作論や身辺雑記を読んでその深さにやはり言葉を失ってしまった。自分自身の内側に思考を深く下ろしていき、そこから言葉を探り出す。そんな静かな、だが恐ろしく明晰な言葉の運動がここに収められたエッセイたちを生み出したのだと考えると作家の意志の強靭さに改めて唸らされる。古井由吉という作家はこれからも(派手にではないかもしれないが)読まれ続けるだろう。私も読んでいくつもりだ。

私なりに小説を書きたいのだけれど、まだ書けないでいる。書きたいことは色々ある。最近観た映画『アメリカン・ユートピア』について、先に書いた古井由吉『私のエッセイズム』について。書きたいことがたくさんありすぎると逆に書けなくなるようで、こうなると時間を置いて心の中を整理するしかない。なぜ自分は小説を書きたいなんて思うのだろう(しかも、母国語ではない英語を使って)、というようなことも考えて作品の中に溶かし込みたい。まあ、どんな天才でも一日で傑作が書けたなんて話は聞いたことがない。根気が必要なのだろう。