跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/06/17

古井由吉『鐘の渡り』を読み始めた。思えば私も今年で47歳。この歳になっても、結婚どころかデートすらしたこともない。華やかな青春とは無縁に生きてきた。『鐘の渡り』では老いを生きる人々の死生観や省察が生々しく綴られていて、その筆致に息を呑む。私自身、「どうしてこうなったのだろう」と思いつつこれから50代を生き、そして死んでいく。いつまでも若いつもりでいるというのもみっともないけれど、ならば「もうこの人生を生きるのにも飽きた」と構えるのがかっこいいかというとそうでもないだろう。正直な実感として、今の方が昔よりもずっと生きやすいし味わいがある。

私には青春がなかった。強いて言えば、この辛い人生をどう生きればいいかと思って村上春樹を読み漁り、その他あぶくのような哲学書や文学書を読み漁った。ずっと独りぼっちで生きていた。ロマンスのきっかけもなく、ただ本と音楽だけが友だちだと思って……読んで聞いて、それをきっかけにいろいろなことを考える。自分だけの哲学を掘り下げていく(「Dig Your Own Hole」だ)。そうしてここまでたどり着いた。こうして自分が人生を賭して築き上げたものに私は誇りを持ちたいと思う。こうして、自分は深められてきた……。

私が住む宍粟市に関して、私はいい思い出がない。いじめられっ子だった頃、外に出るのが怖いとさえ思った。外に出れば私を揶揄する視線に襲われる、と思って……同窓会に出たこともない。これからも出ないだろう。今は、こんな宍粟市を盛り上げようとする人々の活動に胸打たれて自分も市民のひとりとして応援したいと思っている。子どもの頃のことを思い出す。誰からも軽蔑され、見下された日々。ここにいること自体許されないことだと思い、生まれてきたことをひどく恥じさせられたことを思い出す。でも、私は生きている。これからも生き続ける。

結局、私はこのような人生を生きるしかないのだろう。他にやりたいこともないから日記を書き、仕事をして本を読む。無理して稼ぎたいとも思わない。ただ、自分の哲学に溺れて、無理にリスキーな生き方をせずに自分らしく生きる。しかしもちろん、この生き方自体も覚悟を決めなければしんどいだけなのだけれど。20代の頃、アパートで孤独にポール・オースタースティーヴン・ミルハウザーの小説を読んでいた頃から自分は何も変わっていない気がする。まあ、こんな人生があってもいいのだろう。早く私も「ニッポンのエリック・ホッファー」と呼ばれたいと寝ぼけたことを考えてしまった。