跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/01/04

BGM: Julia Fordham "Happy Ever After"

三が日が終わった。仕事あり、休みありで正月をロクに楽しむ余裕もなく終わってしまった。初詣にも行けてない……今年はどんな年になるのだろうか。バタバタしていたので読書もゆっくり楽しめていない。映画はアホみたいに観たが……九州の友人と『アメリカン・ユートピア』について話したことがきっかけで、誰かとおしゃべりしたり手紙を書いたりするのも楽しいなと思うようになった。なので、新年早々小説を書こうかという気になった。「マーコ・スタンリー・フォッグに宛てた手紙」というタイトルだ。少しずつ書いていこうと思う。

自分の小賢しさが嫌になることがある。こんなことをしてなんになるんだ……サブスクで映画を観る時も「こんなB級映画を観てどうするんだ」と思い、肝腎の第一歩を踏み出せない。アントニオ猪木が「迷わず行けよ。行けばわかるさ」と語っているが、時には考えず盲目的に踏み出すこと、行動に移すことが大事なのだろうと思う。今グループホームの利用でお世話になっている方たちにしても、私が発達障害者向けの支援を必要としていた時にネットで必死に調べて電話をかけて、そこでつながりを得たのだった。犬も歩けば棒に当たる、というやつだろう。

フィーリングで動くこと。なんとなく、勘を信じて……だから私は決して論理的な人間でもなんでもないのである。自分の内側から湧き出てくるもの、中で煮えたぎっているものに常に動かされ続けている。いきあたりばったりで生きているし、「だいたいでいいじゃない」とも思っている。映画を観ている時も、私は自分の内側から出てくる謎めいた感覚に引きずられて、それを言語化しようと一生懸命になっている。私とは一個の謎である。あるいは、私そのものが宇宙のようだ。そんな私を受け容れられるようになって、今は穏やかな気持ちでいる。

夜、コーエン兄弟の映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』を観た。フォークソングの温もりとひんやりしたニューヨークのストリートの感覚がブレンドされた、不思議な感覚を持った映画だった。「こんなはずじゃなかった」「どこで間違えたんだろう、この人生」という苦味を感じつつ、生きているのなら生きていかなければならない。コーエン兄弟の映画は苦手だったので『ファーゴ』しか観ていないのだが(にもかかわらず私は「エラソーに」映画について書いているのである!)、今年はコーエン兄弟を開拓しようかと思った。