BGM: ZABADAK "遠い音楽"
こないだ、水曜日に会った方から「仕事を変えることを考えたことはありませんか」と言われたことが気にかかっている。今の会社でやりたいことがあるから続けるつもりではあるのだけれど、別の人生もありえたのだな、と思ってしまったのだ。別の人生……妻を持ち、子どもを育てて、私自身も順当なキャリアを歩むという人生。LinkedInなどでそうした「まっとうな」人生を歩んだ人を見ていると正直うらやましくもある。だけれど、私はこの人生を選んだ。ならこの人生をそれなりの覚悟を以て引き受けるべきなのだと思う。誰のせいにもできないし、したくもない。
思い出す……かつてはこの人生を他人のせいにしていた。自分がこんな境遇なのは政治が悪い、時代が悪い、こんな仕事しかさせてくれない会社が悪い、とにかく他人が悪い、と思って……自分の選択が自分の人生を作るということ、それ故に自分の人生を生きるということは自分の選択にそれ相応の責任を持たなくてはならないということを、拒んでいたのだと思う。他人のせいにしていればラクだから……一日中酒を呑んで、Twitterでありったけの罵詈雑言を吐いて、それで満足していた頃のことを思い出す。もうそんな時期には戻りたくない。
ダグラス・ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』を相変わらず読んでいる。脳の理論や心についてもこの本は解き明かそうとしている。正直、ここまでくると難解ではある。だがこの野心と情熱は凄まじいと思った。それにも飽きると『マインド・アイ』を読み、フェルナンド・ペソア『不安の書』を読む。もう最近はTwitterをする気もしない。Discordで他の方とチャットをして「吐き出す」ことで満足しているので、不特定多数に向けてわざわざ日々の些事を語るまでもない。昔はワーキングプアを気取って声高に色んなことを書き殴ったものだが……。
アルファブロガーやアルファツイッタラーになりたい、目立ちたい、なにがなんでも有名になりたい、と思ってバカなことを散々したものだ……思い出す。そうでもしないと自分の承認欲求が満たされなかったからだ。今は断酒会や発達障害を考える会などで繋がった人が側にいて下さるから、その意味では満たされたのだと思う。そうなってみると、文章を書く動機というものも考えなくてはならなくなる。有名にならなくてもいい、認められなくてもいい、ただ書かないとすっきりしないから書く……そしてやっと最近では自分の書いたものにふさわしい場所を与えたいと思うようになった。2022年もこの日記は書き続けるだろう。