BGM: Tears For Fears "Shout"
今日、ふと「もしこの仕事を辞めてしまったらどうなるんだろう」と考えた。辞める……もちろん辞めたりはしないけれど、この感覚は懐かしいと思った。子どもの頃、いつも「もし自分が自殺したら、みんなどう思うんだろう」と思っていた。いじめっ子たちは、私が自殺したら保身を考えていじめの事実を隠すだろうか。みんな後悔するんだろうか、それとも笑うんだろうか……辞めても他にやることもないし、今の会社でやりたいこともある。だから辞めないのだけれど、流石にこのまま続けるのもキツいと考え始めている。
嫌われるのが嫌だから、というのとは少し違う。今の会社での勤務において私は確実に他の方から(特に上司から)嫌われているけれど、それはもう慣れている。子どもの頃から私はずっと嫌われ者であり笑われる存在だったから。だから、自分が好かれるなんてことはありえないと思い、愛に幻想を抱かないようにして、愛されることを諦めて、そうして生きてきた。愛されることは甘美なのだろうけれど、自分に手が届かない類の喜びであるのなら諦めようと思い、本の中に自分を投じて自分を鍛え上げてきた。「護身」と呼ぶのだろうか。
十代の頃、ずっと「私が死ねば全てが片がつく」と思っていた。だから生きよう、と……矛盾するだろうか。死を選択肢に入れて生きる……当時ちょうど鶴見済の『完全自殺マニュアル』という本が出た頃で、私も愛読して救われた気持ちになったことを覚えている。死ねば片がつく、死ねば全てが終わる……でも死ねなかった。死ねないことが悔しいとも思った。死ぬ度胸もないのか、と。でも、今は覚悟して死ぬことが「度胸」で片付くとは思わない。自死はどんなに理屈を連ねようと結局狂気の産物なのだ。己の自死を克明に日記に記した二階堂奥歯の『八本脚の蝶』の、あの最後の支離滅裂さを思い出す。
夜にclubhouseでジュディスさんのルームに参加する。その後別の方のルームに参加させてもらった。全く、どうしてclubhouseやその他のプライベートなところでは自分は暖かく迎えてもらえるのだろう。会社での扱いとは大違いなので、本当に眩暈を感じる。頭がおかしくなりそうだ……そのルームでは私は天才肌なのだと言ってもらえた。スティーブ・ジョブズやアインシュタインのような……岡本太郎の本を読んで、やはり岡本太郎と同じように異端だから自分は嫌われるのだと得心した思い出があったことを思い出す。私は異端であり邪道なのだろう。邪道なら邪道なりに生きるしかない。大仁田厚のように?