跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/05/24

朝、ジュディスさんとWhatsAppでメッセージを送り合う。ジュディスさんは明日、私がclubhouseで開く予定のルームについていろいろアドバイスを下さった。どうやって場を仕切り、相手に話してもらう機会を作るか。いつも自分のルームをうまく運営するジュディスさんらしい、鋭いアドバイスだと唸る。自分なりにうまくこのアドバイスを活かしたいと思った。私からは自分がカリスマ的だと言われたという話をした。私の声や話し方から、ジュディスさん自身もカリスマ性を読み取ったと書いておられた。そうなのかな、と思う。むろん嬉しいことだが、恥ずかしくもある。

昼にアゼルさんともWhatsAppを使ってメッセージでやり取りした。アゼルさんも私のことを褒めて下さった。そうすると、会社で常に無名である私、下っ端である私のことを思ってしまう。いや会社に恨みがあるわけではない。昇進したいなら覚悟を決めてその道を歩めばいいのだ。そうしないのだから会社に文句を言うのはお門違いというもの。しかし、私はどこに行っても常に自分自身で在り続けようとしているだけなのに、こうも反応が違うと改めておかしくなってしまいそうに思う。自分のことをうまく受け留めかねている。

それにしても、かつては私はさんざんクラスメイトから嫌われ、バカにされて悔しい思いをしたものだ。私の読書や音楽の好みはことごとくメインストリームからズレていて、それで人に理解されず奇人扱いされたのだった。ああ、今の友だちとの出会いがなければ、発達障害を考えるミーティングの始まりに立ち会うことができなかったとしたら。あの出会いから今が始まったのだ。出会っていなければ、私は自分が発達障害者であることを恥じ続け、後ろめたい思いを抱えたまま、罪悪感を感じながら暮らし続けていただろう。今では人は私のことをカリスマとまで呼ぶ。

夜、ネットフリックスで映画『ホワイト・ホット』を観る。アバクロンビー&フィッチというブランドが白人至上主義に満ちた戦略でアメリカに名だたるブランドとして頭角を現し、その後時代が求める多様性の声についていけなくなって失速するまでを描いた映画だ。私自身接客業に就くものとして、この映画を他人事としては観られなかった。確かに自分以外の人間の言葉や価値観を汲み取り、相手に配慮することで自分自身の利を勝ち取る視点は必要だなと思わされる。発達障害の世界でもニューロダイバーシティという、脳の多様性(脳にもいろいろある、ということ)を認めてもらう視点が必要とされていることを思い出した。