今日は休みだった。とあるDiscordのサーバの友だちから誘われていたので、11時にとある言語交換のイベントにZOOMで参加した。私は事前に予約が必要と聞いていなかったので、その場で登録して参加させてもらうという勝手なことをしてしまった(反省している)。そこで5人で英語と日本語でお喋り。私は英語レベルは「Intermediate(中級)」と申請して参加したのだけれどそれでよかったようだ。タトゥーの話や姫路市の話、ALTの先生の苦労話などいろいろな話を楽しめて、参加してよかったと思った。英語はスラスラ出てきた。
夜、ポッドキャストで鳥飼玖美子氏が登場した回のピーター・バラカンの番組のトークを聞く。彼らは日本人の英語のできなさについて(だが一方で「ウィズコロナ」や「オーバーシュート」といった英語を使いたがる日本人の嗜好について)話していた。私にとっても耳に痛い話なので参考になる。鳥飼玖美子氏に関しては『話すための英語力』を読んでいたところなので、彼女の平たい論理展開と明晰な思考に唸らされた。どうすれば日本人は英語を喋れるようになるのか……私自身はどうして英語を学びたいのか、についても考えさせられた。
私自身のことを振り返ると、前にも書いたのだけど大学時代に英文学を学ぶなど英語とは濃い関係性を持つ人生を歩んできた。だがそこまでしても私の英語はうまくなっていない(学校教育で与えられるべきは文法の知識なのかそれとも話せる機会づくりなのか、日本という国自体が迷走している印象を受ける)。話すとは多分学校教育になじまない分野の、私たちがプライベートで実地で地味に磨き続ける技術なのだと思った。それはそのままこの人間がどこまで「人間力」を高めたかということとイコールで結び付けられうる。だからこそ英語を喋れる人が一味違う人間のように思われるのかもしれない。
夜、clubhouseで自分でルームを開く(前にも書いた「Let Our Souls Talk」というクラブだ)。そこでジュディスさんやアゼルさんといった友だちが参加してくれたので、話すことになった。私が話したかったのは上に書いた英語教育についてなのだけれど、自然と話題は私の発達障害/自閉症についてスライドした。発達障害ゆえに聞く力が相対的に弱く、早口で話されるとわからなくなることを断ってから話せばいい、とジュディスさんから言われた(そもそも英語は母国語ではないので、その意味でも私にとっては難物だ)。彼女の思いやりにはいくら感謝してもしきれない。