跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/05/24 BGM: Peter Gabriel - Father, Son

「無我」という言葉が日本語には存在する。「我」が「無」い、つまり煩悩や苦悩から解放された悟りの状態を意味するのだ、と。今日は休みだった。天気も良かったので、午前中は毎週恒例の最上山参りに出かける。そしてその緑の中で考えごとをする。今日はどんな音楽を聞こうかと考え、ブライアン・イーノとフレッド・アゲインのコラボレート作品『シークレット・ライフ』を聴いた。彼らが生み出す深遠なサウンドをイヤホンで聴きながらそのようにして新緑の世界に浸っていると、怒りに囚われていたのだけれどそんな怒りも(一時的にではあるが)忘れられた。なんらだいそれた戦略があったわけでもなく、「なんとなく」こうした山をエンジョイするようになってこうして思わぬ宝を見つけられたという、そんなスットコドッコイな経緯がいかにも私らしい。思う存分明鏡止水の心を楽しむことができた。そして、子どもの頃から住んでいた町だというのにこんなにワンダフルな場所を知らなかった(もしくは気づかなかった)というのを端的に「惜しかったな」と思ってしまった。これからも通い続けたいと思う。

昼、両親と合流して夢前町にあるレストランに向かう。そこでランチを楽しむ。こうして両親と平和にランチを楽しめるようになるとは、昔は想像もつかなかった。3人で実家に住んでいた頃、私は重度のヘビードリンカーだったので精神状態は絶えず荒れ果てていたことを思い出せる。肉体的にも精神的にもボロボロで、両親との仲も実に険悪だったことを。「なんでこんな発達障害者を生んだんだ」「なんでこんなど田舎に住んでいるんだ」と両親への怒り・恨みを肚の中でくすぶらせ、煮えたぎらせて生きていたっけ……その席で父親から「お前、まだ非正規雇用なのか?」「これからどうするんだ。実はお前のことが心配で……」と言われてしまった。そして「お前が話しているその『ジョブコーチ』の方に会ってみたい」と。父がそんなふうに私の活動・人生を認めようとしてくれたことが嬉しいと思う。昔「そんな仕事もう辞めろ」と頭ごなしに言われたのを思い出すが、人というのは変わるものなのだ。そして私もまた断酒して「変わった」のかもしれないと思った。

ランチも終わったので、LINEでそのジョブコーチの方にメッセージを送った。父との約束を取り付けるためだ。その方から快く父と会うことを快諾してもらった。午後、鳥飼玖美子『本物の英語力』を読み始める。そして憚りながら、私自身の英語学習について改めて考え込んでしまった。著者はこの本の中で「自律性」を発揮して自分から進んで英語を学ぶことの大切さ(つまり、強いられて英語を学ぶのではなく自分の「学びたい」という気持ちを大事にすること)を語っている。私自身のことを書けば、学生時代は英文学まで学んだもののそれは決してそんな立派な向学心があったからではなく、「大学入試のため」「立身出世のため」だったことを思い出せる。おかしなもので、大人たちが口を酸っぱくして「勉強しろ」と説いてきた学生時代はぜんぜん勉強なんてする気も起きなかったのに、そこから自由になれた今になって「もっと勉強しておくべきだったのかなあ」と思いながら学び始めてしまっている。だが、それが「C'est La Vie(セ・ラ・ヴィ)」なのかもしれない。

夜、断酒会に行く。そこで最上山に行ったことや両親との話についてを語る。そこで「あなたが真面目に生きて断酒に取り組んでおられることを、ご両親も喜んでおられるはずです。よく頑張って来られましたね」と言われた。実に「身に余る」言葉だと思い、この断酒会に通うようになってよかったと改めて思う。ただ酒を辞めるために始めただけのことが、こんなつながりや人間的変化をもたらすとは……その後戻り、部屋でふとclubhouseで英語で面白い議論がなされていたので参加する。そこで私は「これからの時代、サステナビリティに配慮することは大事だと思います。ですがそれが『一過性』の『ファッション』で終わってしまうことをもまた危惧します」と言おうと思い、英語にできなかった……「トレンディ」という言葉を使ってしまい、ホストから「サステナビリティは今まさに『流行(トレンディ)』な概念なんだが?」と言われ「いや、日本では『トレンディ』は決してポジティブな意味ばかりではないです。『一過性』というか……」としどろもどろになってしまった。が、それもまた「セ・ラ・ヴィ」なのであります。