でも、これはどうだろう。実を言うとぼくの場合、ぼくはたしかな目的意識や「ゴール」なるものを英語学習にあたって設定して、そこから一念発起して学習を「ねじり鉢巻き」よろしく気合を入れて始めた記憶なんてこれっぽっちもないのである。ホントの話だ。いや、いまならささやかな夢はある。この町と世界をぼくが英語を通してつなげられたら……あるいは友だちが英語で困っている時に助けられたら、といったものだ。それをぼくは「ブリッジ・パーソン(橋渡し役)になる」になると表現する。でも、この発達障害ゆえの特性バリバリの脳のせいか、簡単にそそっかしくいろんなことを忘れてしまいがちなので野心・大志を保ち続けられることなく、トラブルの前にくじけることもしょっちゅうなのである。
過去を思い出す……特に、インターネット時代以前に、こんな未来が来るとはまったくもって予期できなかった(できてたまるか)。発達障害なんて診断が降りるなんてこともまったく予想できなかったし、書きたいという欲があったことはたしかにせよ日本語ではなくよりによって英語で書き始めることになるなんてことも予想できるわけもなかった(心のどこかでナボコフやサミュエル・ベケット、多和田葉子みたいな人たちを羨望の的として見ていたのは間違いないにせよ、である)。ああ、このなんとも調子っぱずれな人生。めちゃくちゃな人生。
大学生の頃だったか、「ウィンドウズ95」がリリースされて晴れて「インターネット元年」が始まったのではなかったか。ぼくも村井純や西垣通といった人の本を読み込みせっせと時代についてこうとしたりしたものだった。こんなことまったく想像もできなかったが、ぼくも気がつけば「スマホ」を持つようになりSNSのアカウントも開設して投稿するようにもなった。でも、こんな状況は想像だにできず……ああ、人生は奇妙だ。でも、できることを日々、淡々とこなすだけなのである。一茶に倣って「かたつむりそろそろ登れ富士の山」というスピリット(心意気)で生きていきたい。
今日はジョブコーチと職場で面談の機会があった。ぼくの仕事について話し合う。ああ、光陰矢の如し。時間はあっという間に過ぎていく。はじめてお会いした頃、こんないまの人生が訪れるとは予想できるわけもなかった。あの日、あのカフェでお会いすることがなければいまのように英語で書くなんてこともありえなかった。断言してもいい。なんなら財布の中身くらいなら平気で賭けてもいい。ジョブコーチの方に英語で書いたものを褒めていただけたことが縁で、こんなことを始める蛮勇が芽生えたのだった。ああ、世界の神秘というか奇跡というか。マンマ・ミーア!