跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/11/30

BGM: 高浪敬太郎「コズミック・ブルース」

今日、会社でミスをしてしまった。退勤する時に間違えて出勤スキャンを切ってしまっていたのだ。発達障害者にはよくあることだが、理由書に「うっかりミスです」なんて書けないので困ってしまう……つくづく自分の発達障害ぶりが嫌になる。思えば、会社では私はいつもトラブルメーカーである。どんなに私生活で褒めそやされても、書くものが褒められても会社では所詮は出世の見込みもない、ただの鼻つまみ者にすぎないのだった。だから正直、頭がおかしくなりそうになる。誰の言うことを信じればいいのだろう?

今朝、インドネシアのジュディスさんがclubhouseでやっている部屋に参加した。彼女は私にいつも、私のこの日記を朗読する時間をくれる。今日朗読したのは私自身の過去を語ったもので、決して明るいものにはならなかった。彼女は彼女自身の過去を語り、私がスペシャルだと励ましてくれた……ありがたいことなのは間違いないが、褒められれば褒められるほど会社での「使えないやつ」という待遇とギャップを感じてしまう。ここまで私に対する反応が異なっているのはもう、違うOSで動いているとしか言いようがない。

その「違うOS」の源泉を突き詰めれば、発達障害をどう捉えるかだろう。会社の人にとっては発達障害とは突き詰めればトラブルを招く要因としか見做しようがないのだと思う。あってはならないミスをする要因……もちろんこの発達障害がもたらすいい面もあるのだが(例えばこだわりであり、人と違うセンスである)、それさえも和を乱すものとして忌み嫌われたりもする。オリジナリティを発揮すればするほど褒められるこうした日記や発言とは異なる。一体どうしたらいいのだろう。私はただ私でありたいだけなのに……。

夜、ジョン・サールの『MiND』を読み始めた。もちろん私は素人なので専門的な学識など持ち合わせていないのだが、サールの筆致はわかりやすく私を心や意識をめぐる数奇な旅に誘導してくれる。だが、どれだけ意識についての本を読んでも「なぜ私はわたしなのか」「なぜこんな人間に生まれついてしまったのか」という謎は解けない。死ぬまでずっと解けないだろう。今日、ふと「こんな時代なのだから、マスクに落書きをする『マスクライナー』なんてものがあればいいのに」と思ってしまった。むろん衛生面で実現しないだろうが、こんなことを思いつく自分とは、こんな変な自分とは一体なんなんだ?