跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/05/14

自分に自信を持つ、とはどういうことだろうと考える。今日、バイクが故障したので歩いて出勤したのだけれど、グループホームの方とこれからの段取りをLINEで話し合った。その時、これからどうしたいか問われてあれこれ自分の中からプランが出てきたことに我ながら驚いた。これが自分に自信を持つということなのだろうかと思った。別の言い方をすれば、私は自分に自信を持とうと思って空威張りしたわけではなく、自然と自分の中から自信に満ちた決断が出てきたというわけだ。そこに私は奥義を見出した思いがした。こうして自然と生れてくるのが自信なのかもしれない。

前にも書いたが、私は自分に自信を持てないことを悪いことだと思わない。それは自分を誠実に見つめて、自分を絶対だと思えないで他者と比べてしまっているということだと思う。自分をわかっている、とも言える。私なんて、誰かと比べたらどうってことない……でも、自信の源泉とはそうした他者との比較ではなく過去の自分自身との比較によって生まれるものなのかもしれない、と仮説を立ててみる。過去の自分とは違って今はこんなことができる、あんなことをしてみたいと思える、というように。そうすれば自分にプライドを持てるようになると思うのだ。

ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』を読む。安定した面白さを感じる。リベラルな彼女の息子と彼女自身、そして配偶者を描いたこのエピソード集から見えてくるのは、彼女の言葉を使えば「地べた」を生きる人特有の賢さと呼ぶべきものだ。それはアカデミックな賢さとは違う。実際にリアルで満身創痍になって生きて、でも泥臭さを隠さないで笑いながら現実と立ち向かう、そんな人の賢さとたくましさなのだと思った。私もまたそうした賢さを持っていたい。むろん、そんな賢さはクールではない。だが一周回ってかっこいいとも思う。

明日の発達障害を考えるミーティングのための資料の手直しをする。その後、テンプル・グランディン『自閉症の脳を読み解く』を少し読む。なぜ私は発達障害者/自閉症として生まれ落ちたのだろう。この脳のせいで頭がおかしくなりそうになることもある。だが、それはそれでコクのある人生を生きられているとも思う。会社では窓際の一従業員なのだけれど、上述したプライベートでのミーティングやあるいはDiscord、WhatsAppでは慕われているのを感じてこのギャップにおかしくなりそうに感じることもある。それはそれで『シュガーマン 奇跡に愛された男』みたいで面白いとも思うのだけれど。