人生は上々だ

Life is good.

2021/11/27

BGM: Rick James "Super Freak"

今日は図書館に行き、ジョン・R・サール『MiND』という本を借りた。ここ最近はずっと意識というか心について考えている。私は独り言を言う癖がある。職場でもそのことで笑われているのだけれど、自分でも止めようとしても止められないのだった。この独り言を聞いていると、自分の中にはもうひとりか2人くらい人格があるように思う。仕事中に、はっきり多重人格としてではないもののその人格が現れて独り言(?)を喋りだす。彼(?)が私の身体を動かし、私に仕事をさせる。彼を信頼すればそのまま仕事をしてくれる。

自分とはなんだろう、と考えても答えは出てこない。自分とはとらえどころのない、常に移ろうものだ。この町を流れている揖保川とはなんだろうと考える際に、その川の水をコップに汲んで取り出してもその瞬間の水質しかわからないのと同じで、私がこうやって書き続ける日記やメモはその瞬間の私しか教えてくれない。私は絶えず移ろう。だが、仕事をし始めれば私の中の人格はまた現れて「慌てて金が儲かるくらいならいくらでも慌てる! 落ち着きが大事だ」と私に話しかけてくる。この不思議……この自分とは、本当に一体なんなのだろう。

この日記を読む人の中にはシリアスな人も居るのでこういう話題は忌避すべきだと思うのだが、私の中にはエッチなことを考える人格も居る。すれ違った女性のお尻の形がエッチだなとか、そんなことを私だって考えることもある。だが、そんな自分だけが自分ではない。グループホームの部屋の中で「働きたくない病」を発揮して寝転んでスナック菓子をボリボリ食べている自分も居るし、映画を見て真剣に考え事をする自分も居る。仕事場の自分……一体自分は何人居るのだろう。でも、みんなこの私の中で繋がっているようにも思う。自分とはかくも多面的だ。

夜、久々に『リトル・ミス・サンシャイン』という映画を観た。あまり前のめりになって観られなかった。ツッコミどころが多くストーリー展開ももう少し工夫が必要だと思ったからだ。だが、「負け組」について考える機会をもらえたことは収穫だった。「勝ち馬/負け組」。いつからこの言葉で人は分離されるようになったのだろう。私は負け組の中でも最底辺かもしれないが、しかし好きなことをやれているし幸せであるとも思う。こんな自分の哲学が生まれるきっかけはなんだったのか……こんな風に安穏としていられる自分はどうやってできあがったのだろう?