跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/05/10

朝、LINEを読む。知人が自分自身の(私と同じく発達障害の)特性についてLINEグループに書いておられた。私自身、発達障害の検査をする時に心理士の方の前で泣いたことを思い出した。当たり前だが、発達障害者は望んでこう生まれてきたわけではない。子どもの頃からカフカばりに不条理な思いをして、大人になってからも自分は人格障害ではないかと様々な本を読み漁って自分のことを研究したことを思い出す。ようやく発達障害というコアと出会えて、でもそこからの道のりもまた長いものとなった。一生この道を歩かないといけないのだ。

それでも、私はこの特性を愛する。本をたくさん読み、いろいろなことをしつこく考え、不器用に生きる。この特性がなければ私は一生今の友だちと出会わずに終わっていただろう。かつて宮台真司のサイトのBBSで知り合った方に「君は人格障害者だ」と言われ、自分自身を丸ごと否定され私自身もこの自分をどう変えたらいいかわからず、途方に暮れたことを思い出す。今はまったく逆で、「あなたのままでいてくれてありがとう」と言われる。こうしたことを思うと、私の中には劇的な内面のドラマがあったのだなと思わされる。人格障害から発達障害へと至る道を歩み、そしてこれから私はどう生きることになるのだろう。

実家に戻った。私は自分自身の部屋の本棚を見た。そこから東浩紀斎藤環の本を取り出してパラパラ読む。買い込んだ本、読み漁った本……生きづらかった道、しんどかった時期を思い出す。mixiでとある女性に送ったメッセージがすべての始まりだったのだ。テンプル・グランディンについて考え、「アスペルガー症候群(というのが当時の呼び名だった)の検査を受けようと思う」と言ったら、「あなたが今までアスペルガー症候群だと思ったことがないなら、こんなにアスペルガー症候群にふさわしい話はない」と言われたのだった……。

夜、clubhouseで英語学習について話されているトークを聞く。なぜ英語を学ぶかという話題だった。2つの考え方があると思った。1つは留学や仕事でのステップアップといった大きな外部の目標を設定して、そこから逆算して今やるべきことを考えるという方法。もう1つは私のように友だちと話したいとかブログで発信したいとかいった内発的動機から学び、日々の成功経験をつなげていくという方法。むろん両者は矛盾しない。いずれにしても、日々英語を話しトレーニングを地味に積むことが肝腎であると思う。そんなことを、本棚にあるルー・リードの詩集(買ったことを忘れていた)を見て思った。せっかくなので読んでみようと思う。