跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/11/17

今日は珍しく忙しい日だった。休みだったのだけれど、午前中図書館に行き本を借りた。図書館の時計が10時を指していたので、時間とはなんだろうかと素人考えであれこれ考えながらバイクを走らせる。借りたのはフィリップ・フォレスト『シュレーディンガーの猫を追って』という小説だ。時間について考えるなら、中島義道の本を読むべきだろうかと思った。哲学的に「今」とはなにか、過去や未来とはなにかを考えるという……あるいは科学の見地から時間にアプローチするのも面白いかもしれない。いずれにせよ私の頭では追いつかない問題なのだけれど。

11時に人と会った。今の職場で就業支援員を利用させてもらうための方法をあれこれと考える。私は発達障害を抱えており、それをオープンにして働いている。発達障害者が働きやすくなる職場が同時に定型発達者にとっても働きやすい、そんな職場になりうるという理屈はなかなか受け容れてもらえない。画餅というか、夢物語のように思われてしまうのだ。もっと今の職場で働きたいですか、と言われる。人間関係において苦労していることを除けば今の仕事は自分に馴染んできたので、もっと働きたいと答えた。さて、これからどういう戦略を練ろうか。

2時から近所のお寺でミーティングがあった。私は、最近見た映画『ボクたちはみんな大人になれなかった』の話をした。そして、大人になるとはどういうことなのか考えたことも話した。突き詰めれば自分とはなんだろうか、と……私はグループホームに居る時はグループホームの自分が居て、仕事をしていれば仕事の自分が居て、ミーティングに参加していればミーティングの自分が居る。その人格は場所に応じて立ち上がるようなのだ。それを無理に分けなくてもいいのではないか、と言われたのが印象的だった。場に応じて立ち上がる自分は、しかし繋がっている自分でもある……。

生まれてきた……それが自分が犯した最初の罪だ、と考えていたことがあった。そう考えると、その自虐的な感覚が懐かしく感じられた。そうだ、ずっとそんなことを考えてきたのだ。そんなことも話した。ミーティングでは他の参加者から、私たちは大人になるというより人間になることを考える方が大事だという意見が出た。社会的な役割ではなく、それぞれの人々が本来与えられている役割(天から命じられた役割、と言うべきだろうか)。ならば私の役割とはなんだろう。こうして書くこと、考えることはその役割なのだろうか。そうだといいな、と思う。