跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/11/15

Twitterを見ていたら、橋本治の言葉として「目標が決まったら人はどんどん頭が良くなる」という言葉が紹介されていた。この言葉が印象に残って、仕事をしていても離れなかった。私も、ふと「こんな仕事をしていてなんになるんだろう」「こんな人生に意味はあるんだろうか」と憂鬱になることもある。だが、ふとなにかを考えたり書いたりしてそれを発表したくなると、そんな憂鬱は消える。なにかを考えてそれについて書くことは、取りも直さず未来に向けて動くことだからなのかなと思う。書くことは、私にとって希望である……。

私は本を読むのだけれど、本は言葉によって様々な光景を見せる。まだ見たことのない光景を。それを未来と呼んでもいいのかもしれない。本は未来への手がかりであり、あるいは未来そのものである。だから本を読むのかな、と思う。高校生の頃のことを思い出した。いじめに遭ってすっかり人間不信になってしまい、誰とも話さないで教室で本ばかり読んでいた時に、東京に思いを馳せた。こんな田舎町を出て東京に行けばきっと理解者が現れる、こんな狭苦しい町をとっとと出ていきたい、と思っていた時のことを。

本を読む動機の中には多分に「本を読み、知識をつければ人よりも上に立てる」というものもあった。あるいは「本を読めば自分の中で、この混沌とした世界に秩序を与えることができる」とも思っていた。この世界はいつも私にとって混沌としていて、わけがわからなくて意地悪で、理解に苦しむものであった。そんな中で生き残ろうとするなら、私自身を強くさせるしかなかったのだ。だから読書で知識を得て、生き残ろうとしたのだった……でも、その頃のことを思うと私は間違っていたのかもしれないなとも思う。

今思うに、読書から得られる知識はヴァーチャルなものでしかないのかな、とも思う。私は実地で人と関わり、恥をかき醜態を晒しながら自分をリアルで強めなければならなかったのかな、と。発達障害を考えるミーティングと出会ってから、私はそんな醜態を晒す訓練をしてきた。そんなこと考え、それを英会話教室の宿題のプリントに書いた。書き終えて、少し泣いてしまった。こんなことを書きたかったのかな、とも思った。こういうことをずっと書きたかったから英語を勉強してきたのかな、と。全てはここにつながる長い道のりだったのだ……。