跳舞猫日録

Life goes on brah!

There She Goes 1

ぼくはジョン・レノンの「Woman」という曲について考えています。ジョンはこの曲をこんな印象的なフレーズから始めています。「空のもう半分のために」。ぼくは初めて気づいた時、これはとてもジョンらしいと思いました。詩的でダイナミックだ……そしてあとになって、ぼくはこれが毛沢東の詩から来ていると知りました。ああ、なんてことだろう。彼は毛沢東の詩を読んでいたのだろうか? この言葉は哲学的な含みがあって深い意味を持っています。

「Woman」……これは彼が「ある女性」について歌ったという意味です。もちろん、それはヨーコのことだと思います。でもぼくはこの曲は「女性たち」に向けての応援歌でもあると思うのです。「空のもう半分」の下で働く人たちのことです。ぼくは時々、男が女性たちとは違うことを忘れてしまいます。ぼくは男が妊娠や生理を経験できないことを忘れます。

ぼくがこれらを経験できないことは、少なくともぼくにとって、ぼくがこのリアルな世界のある部分を触れないことを意味します。ぼくは女性たちの問題や喜びを「イマジン」しないといけません。ちょうどジョンがぼくたちの想像力の中で世界平和を実現させたようにです。それ故にぼくは女性たちについてフェアには話せません。ぼくは誤解しているのだろうか? ぼくはその可能性を怖く思います。

この世界の歴史は様々な男たちの(いや、もっとエグく「オスの」と言うべきか)バカバカしい言葉を生み出してきました。特にニーチェは沢山の愚かしい(そして無意味な)戯言を残しています。ぼくは想像力をフルに使ってぼくの隣に居る人達を理解しようとします。

OK。悲しいニーチェのことは語りません。ぼくはぼくのことを話します。ぼくが子どもの頃、ぼくは女の子たちに嫌われていじめられました。そう、それはバカないじめでした。でも、全ての女の子たちがぼくを嫌って愛するそぶりを少しも見せないということを想像できるでしょうか? ぼくは愛されるという感情を経験できませんでした。今ぼくは、自分を愛することに慣れてきました。それ故に自分を受け容れることも……ある友だちは、そんな「自己愛」がぼくをして他の人を愛するように仕向けると言います。誰か……「空のもう半分」を?