跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/04/08

今日は遅番だった。朝、特に理由はなかったのだけれど鬱に陥った。何もする気になれず……自分のこれからの人生について、もう終わったかなと思ってしまったのだった。だが仕事を休むわけにもいかないのでグループホームを出て、図書館に行った。フォークナーを借りるつもりだったのだけれどル・クレジオ『ビトナ ソウルの空の下で』が並んでいるのに気づき、この本を借りた。そして読み始める。するとテクストの中に入り込むことができ、本を介していろいろなことに考えをめぐらせることができた。まだ生きていけそうに思った。日々のルーティーンをこなすことが自分を生かすことにつながるのだな、と気づいた。

ポール・ウェラーが「Has My Fire Really Gone Out?」と歌っている。「俺の中の炎は消えてしまったのだろうか?」と。私も今日、このことを自分に問うた。私はまだ自分の中で希望が燃えているのを感じる。希望の熱というか温もりが存在するのを感じる。レフトフィールドを聴きながら読んだル・クレジオはいつもながらみずみずしくダイナミックで、いずれ死ぬという運命に置かれていてもその中で人間になにができるか、なにを為すべきか真摯に私たちに問いかけているように思った。それがわかっただけでも『ビトナ』を読んでよかったと思う。

『ビトナ』の中で、車椅子生活を強いられる女性に向けて物語を編む女性が登場する。相手に対して物語を「語る」。誰かに物語を捧げる、という行為。繰り返すが、私たちはいずれ死んでしまう。誰もこの運命を覆すことができない。だが、物語の中で自由自在に想像力を駆使して様々に語ることを止めることも誰にもできない。物語を語るということは、そのまま希望を語ることでもある。孤独の中に閉じこもり分断に陥ることに抗して、希望の架け橋を築く。そんな力強い肯定に満ちた物語を読んだことで、自分自身もまだ生きていけるなと思った。

ル・クレジオの作品は『物質的恍惚』を熱心に読んだ記憶がある。彼の想像力の奔放な広がりに圧倒され、その壮大なヴィジョンや哲学的な思考に打ちのめされた記憶が蘇る。大江やフォークナーを読みたいと思っていたのだけど、ル・クレジオという作家ときちんと付き合うのもいいのかなと思えてきた。私の気分は本当に移ろいやすいので、こうしてあれも読みたいこれも読みたいと思って虻蜂取らずのままで終わってしまう。まあ、それが発達障害というやつなのだからしょうがない。ポール・ウェラーに倣って「My Ever Changing Moods」を楽しもうと思う。