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ダニー・ボイル『スティーブ・ジョブズ』

ダニー・ボイルスティーブ・ジョブズ』を観る。そうか、今年でジョブズが亡くなって10年が経つのか、と思ってしまった……と玄人っぽく書いてしまったのだが、実は私はMacとは無縁に生きてきたのだった。ただパソコン関係に関して素人であり、かつ周囲が呆れるほど関心もないのでWindowsAndroidを使い続けているのだけれど、ジョブズが未だにカリスマとして崇め奉られ、理想のリーダーとして語られているのを見るとそれはそれで凄いことなのだなと(実情もわからないままに)思ってしまっていた。この映画はもちろんノンフィクションではないのだけれど、そんな「ジョブズは天才」観にローキックを入れるに充分な出来だと思った。

この映画はジョブズが十八番としていたと言われている(?)プレゼンの内代表的なもの3つの舞台裏に迫り、そこから逆算してジョブズとはどういう人物だったのか洗い出す仕掛けが施されている。つまり、ジョブズの生い立ちやアップル設立、そしてコンピュータを実際に作ったり新製品を出したりといった流れが時系列的に語られるわけではないのでそのあたりわかりにくいかもしれない。しかし、そのような批判(?)は制作陣もわかっていて撮ったはずだ。実際にこの映画を観ていても、ジョブズの功績について語るというより――そんなものはもうみんな知っているから?――そんなジョブズの人柄について迫ったものと思われる。

しかし、ここで開陳されるジョブズの人柄のなんという冷酷なことだろう。いや、ジョブズの人柄が聖人君子でないことくらいは巷間のメディアの情報からわかっていたことだったのだが、彼はその千里眼とも呼べる視線で未来を見通していた。例えば彼は、タッチペンを使ったデバイスがコケることを予見していた。そんなことをしたら指が使えないからだ。そのような鋭さは流石だと思ったのだけれど、ではジョブズが発明/開発するものが全てが全て斬新かつ実用的というわけだったのではもちろんない。彼の開発するものは映画を観る限り、こんな「今」であっても非実用的で理想が高すぎる。

理想が高すぎるもの、あるいは非実用的なもの(ユーザーの改良を許さないクローズドなマシンの設計にそれは現れている)。それは裏を返せば顧客を信用していなかったというか、フレンドリーな姿勢を許さなかったということだろう。市場に歯向かうものを作る姿勢はもちろん商売でパソコンを売る同僚・盟友たちの逆鱗に触れる。だが、そんな非実用的なものであってもジョブズは売れるとか「世界が変わる」とか、ボブ・ディランを引き合いに出して語るのだからもうメチャクチャである。リサという自分の娘を認知しないいざこざに関しても本当にこの人は人の親に向いていない。

そんなジョブズの、天才なのかアホなのか、誇大妄想狂なのか稀代のカリスマなのかわからない人間性マイケル・ファスベンダーという俳優によって演じられる。この映画は基本的に閉じられた空間で演じられる(プレゼンの直前の楽屋や閉じられたホールのステージ、等などで)。だから密室劇を観ているような息詰まる臨場感やスリルは確かに味わえるし生々しい。退屈する暇を与えないというか、中だるみを許さないテンションは見事だと思ったのだけれど流石にそのテンションだけで2時間を持たせるのはキツかったのではないか。どこかで「タメ」というかまったりする瞬間があってもよかったように思った。

それにしても、だ。ジョブズばかりが本が刊行されたりカリスマにされたりする風潮があるが、私はこの映画を観てウォズニアックやスカリーといった「脇役」に惹かれるものを感じた。彼らは言うまでもなく常識人であり、それ故にジョブズのような千里眼を持っていなかったと描写されている。だが、彼ら「脇役」が居なければジョブズのような商才のない人(なにせプログラムも書けないのにコンピュータを知悉していると嘯くのだ)はとっくの昔にコケていたと思う。その意味で、ウォズニアックやスカリーの側から見たジョブズを観てみたくさせられもしたのだった。ニーズはあるのではないか。私は観てみたい。