人生は上々だ

Life is good.

リー・アイザック・チョン『ミナリ』

リー・アイザック・チョン『ミナリ』を観る。なかなか語りづらい映画だと思った。語れるところから語っていくと、この映画を観て私は「そうか、もう『アメリカン・ドリーム』の時代ではないのだな」と思ったのだった。例えば『ヒルビリー・エレジー』のような映画が語っていた、貧乏人はいつまで経っても「一攫千金」のチャンスなんて得られず貧乏なままで終わってしまう絶望的な現状を、この映画もそのままトレースしているように思われた。つまり一見すると夢も希望もない、そんな映画なのだ。しかし一方ではこの映画は「ミナリ」(植物の「セリ」ですね)なりのふてぶてしさを描いているようにも映ったのだった。


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時代は1980年代アメリカ。韓国系の移民であるジェイコブが、とあるアーカンソー州の土地で農場を開くことを決意する。そして農場の仕事を軌道に乗せるべく、一方でひよこの雄と雌を見分けるしごとをしながら懸命に汗を流す。だが、その事業はなかなかうまく行かない。水が出ないことやまだ幼い子どもたちの面倒を見る人間が居ないことなどが問題となってくる。結局ジェイコブたちはおばあちゃんを同居人として迎えることになるのだが、そのおばあちゃんは理想の家族像とは程遠い「花札」を持ち込んで子どもに教えるヘンテコリンな人である。そんな一家の悲痛な生活が描かれる。

……とはいうものの、この映画を決して一面的な「悲劇」としてだけ捉えたくないというのも正直な気持ちとしてはある。いや、是枝裕和なんかが撮りそうな安直に救済の余地を見せない話であるとは思う(それを単純に「夢も希望もない」と断罪したくはないので、私は「一見すると」とひと言添えた)。しかし、おばあちゃんを迎えて暮らす家族は時折楽しげな様子も見せる。これは不謹慎だろうが、スープ(お茶?)の代わりにとんでもないものをおばあちゃんに飲ませる場面。あそこで少し空気が和らいだのを感じた……いや、これも「いや、あそこは不謹慎だ」と断罪されそうでややこしいのだけれど。

何事も理想通りにはいかない。だが、それを以て直ちに「不幸」と嘆きたくないというのは私の中である。現実が思い通りにいかないなら、その中で知恵を絞って喜びを見出そう、と。だから、この映画で救いなのはおばあちゃんが単純なのけ者ではないことである。子どもに与えた「花札」も結局子どもたちを繋ぐ道具として役に立つし、おばあちゃんの体臭か服の匂いが嫌いで懐いていなかった子どもたちもおばあちゃんに寄り添い、大事にするようになる。だから、この映画でとんでもないカタストロフが起きても彼らの復活が期待されるような温もりが示されているように思った。

その意味では、映画のタイトルである「ミナリ」という「セリ」をおばあちゃんが植えさせるあたり、この映画それ自体を語っているようにも思えたのである。つまり、アメリカの流儀に染まる必要はない。韓国料理に多用される「セリ」が土地に馴染んで独自のふてぶてしさ(もうあそこまで蔓延ると「雑草」にも似たたくましさがあるな、と思ったのだが)を示して生き延びたように、このジェイコブたちの家族も生き延びるのではないか、と。それを踏まえた上で、この救いもなにもない静謐なストーリーに監督や制作陣は「ミナリ」というタイトルをつけたのではないかな、と思った。

にしても、「アメリカン・ドリーム」が成り立たないアメリカ……いや、それがリアルでありそのリアルをこそ映画に取り込めないのならダメだ、という態度はわかる。しかしコロナ禍で大変な時にこんな映画を観て余計に鬱になったらどうしたらいいんだろう、とも考えてしまう。韓国映画にそんなに詳しくないので的外れもいいところかもしれないが、この監督は確実にポン・ジュノイ・チャンドンといった同時代の監督と同じ資本主義の行く末を見つめ、人々の生活を見つめている。だからこそここまで地べたに足の着いた映画が撮れている。それは認めたいと思った。