村上春樹『ノルウェイの森』を読み終えたこともあって、また自分の中で村上春樹に対する熱が沸き起こりつつある。なので、彼の問題作『ねじまき鳥クロニクル』を読み返したく思い図書館で借りてきた。今日は休みだったので映画の1本でも観ようかなと思っていたのだけれど、いざ蓋を開けてみると映画は全然観られずこの『ねじまき鳥クロニクル』を読み耽るだけで一日が終わってしまった。非常に巧いストーリーテリングで語られる、連続ドラマのような小説だ。悪夢にも似た……例えばデヴィッド・リンチ製作総指揮の『ツイン・ピークス』のような作品と充分拮抗すると思う。ストーリーがうねりを持つ作品だ。
『ねじまき鳥クロニクル』を初めて読んだのはいつのことだったか。私にも、かつては村上春樹の新作が読めることを素直に楽しみにしていて、発売日と同時に本屋に走ったことがあるのを思い出した(今でも、春樹の本はなんだかんだ言って買ってしまうのだけれど)。大学生の頃、村上春樹とポール・オースターの本を読みながらまだ見ぬ明日、まだ未来について思いを馳せたことを思い出す。ああ、なんにでもなれる、どんなことだってできる……と思っていた日々が確かに自分の中にもあった。でも、結局今の会社に落ち着いてくすぶり続ける日々が続くのだけれど。
『ねじまき鳥クロニクル』を読むのに飽きると、別に読み進めている『ミヒャエル・ハネケの映画術』という本を読む。ミヒャエル・ハネケはそんなに好きな映画監督というわけではなかったのだけれど、最近『ハッピーエンド』などの作品を観直したからか気になる監督となってきた。ハネケは村上春樹にも通じるところがあるのかもしれない。豊かな想像力と残酷さへの鋭敏な感受性、という要素において(もしかしたらハネケと春樹と私が好きなデヴィッド・リンチは私の中で繋がるのかもしれない、とも書いてみる)。
昔はもっと自分の中に野心があった。アルファブロガーになりたい、ベストセラー作家になりたい、というように。だが、今はもっと欲望の次元が落ちてきたと思う。なにはなくとも、好きな春樹の本を読めて好きなリンチやハネケの映画を観られる。こんな風に好きなことを日記として書ける。それだけで満足だろうと思ってしまうのだった。これが幸せなのかな、と……それでもまだ、自分の中で満たされないものが残る。孤独だな、とも感じる。それをごまかさないで見つめ続け、悩み続けたい。そして中島義道が語るように、この生活の空虚さを「百パーセント肯定」したいと思う。なにはともあれこの空虚な生活が「正解」なのだ、と。