跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/08/18

久々に小沢健二の名盤『犬は吠えるがキャラバンは進む』を聴いている。「天使たちのシーン」という曲の歌詞で「神様を信じる強さを僕に/生きることを諦めてしまわぬように」というフレーズがある。この箇所が好きだ。「神様を信じる」こと、なにかにすがることを私はずっと弱さだと思っていたように思う。弱いから「神様」にすがるのだと。でも、違う。敢えてなにか大事なものを信じ、頼る。その信じて委ねる力をこそ、本当の「強さ」と呼びうるのかもしれない。私は神は信じないけれど、人との絆は信じているように思う。

酒に飲まれる前、私にとってビールとは村上春樹の小説に登場するような、爽やかな飲み物だった。就職活動が全然うまく行かなくなった時に呑み始めて、それ以来40になるまで溺れたのだった。金もなく、夢もなく。出世する見込みもなく、恋の予感もなく……いつの間にかビールは一体いつ終わるかわからない絶望的な、鬱々とした生き地獄を象徴するような飲み物となった。ビールに手を伸ばせばあの日々がまた来る。それだけはなんとしても避けたい。今、小沢健二を聞いて人生をやり直そうとしている私にとってビールは必要ない。

ミヒャエル・ハネケの映画『カフカの「城」』を観る。カフカの小説を映画化したものだ。本当にデタラメな筋書きの映画だと思う。メロドラマのような、女性との逢瀬を丹念に描いた作品であるように思われた。カフカの小説はカフカにとっての現実を描いた私小説として読めるところがあると思うのだけれど、ここで描かれる「城」と自分との駆け引き、及び女性に翻弄されるがままに生きる無力な自分といった要素は私にも馴染みがあるもののように思う。退屈と言えば退屈だけれど、カフカの旨味は伝わる映画のように思った。

図書館に行き『J・G・バラード短編全集』全5巻を借りる。第1巻を読んだのだけれど、SFには疎いくせにバラードが描く終末の光景に痺れてしまった。書かれた時代が時代だけに「テープ」がそのまま登場するところは微笑ましいが、そうした瑕瑾に目をつぶれば私たちが忘れてしまった「世界の終わり」の崇高なヴィジョンが見えてくるように思う。私たちは終わりのない、終わらせてはいけない経済活動を行い、生を行う。なんのために? わからない。あくせく働き、生きる。そんな悲しい人間の性が見えてくるように思う。