跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/08/30

思い出す……今の会社に入った当初、私は自分のことを発達障害者だとわかっていなかった。盾と矛みたいな指示が飛んでくる中、必死になって働いた。ここで通用しなければ終わりだと思って……使えない人、役に立たない人ではあったけれどそれでも懸命に働いた。やがて発達障害者であることがわかって、それを上司に報告した。でも、わかってもらえなかった……最終的に薬を100錠ほど飲んで自殺未遂をしたわけだが、あの体験は地獄を見たのと同じだ、とさえ思っている。あんな思いを他の人にさせたくない。発達障害者というだけで、なぜそこまで追い詰められなければならないのだろう。

本を1冊買う。本橋信宏『全裸監督 村西とおる伝』だ(不快かもしれない話題になります。ごめんなさい)。Netflixで同じ村西とおるを扱ったドラマ『全裸監督』が放映されているので、その予習として読めたらいいかなと思っていたのだった。欲望とはなんだろう、ということを考えさせられる。私も村西とおると同じ男だからか、どこかで「金と女」を追い求める心理はある。だが、この本を読んでいると追い求める果てに「そこまでやるか」と呆れるやら感心するやらな行動に打って出る彼の姿がある。その欲望に忠実な姿を見習うべきなのか、と真面目に考えてしまった。

この手の「金と女」を追い求める男の姿を描いた作品だと、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』といった映画が思い浮かぶ。そして、この「金と女」に背を向けて消費社会を破壊しようとした(が、結局消費社会を破壊する以上の価値観を示せなかった……つまり消費社会がなければ成立しない価値観から出られなかった)作品として私は『ファイト・クラブ』を思い出す。私は霞を食べて生きているわけではないので、金はどうしても必要だ。そしてこんな言い方をすれば下品だが、「女」も欲しいと思う。だが、少なくとも女性はアクセサリーではない。人格を持った個人だ。その大原則を忘れたくないなと思った。

『全裸監督』は確かに面白いノンフィクションで、破壊力は抜群。昨日観た小津安二郎の映画を思い出し、この破壊力に野坂昭如の小説に匹敵するものを連想してしまう。小津安二郎の映画が説く「ほどほどが一番」「今が一番いい」という、今にうまく満足するという生きる知恵を私も見習いたいと思っているのだが、村西とおるなら「それじゃだめだ」と言うだろうか。金を求め、女を求め、もっと貪欲に生きろ、と。そうかもしれない。だが、そんな風に欲望を増幅させていった先に、村西とおるが体験したような破滅が待ち構えていないと誰に言えるだろう?