跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/07/19

BGM: The Jesus and Mary Chain "Darklands"

休みだった。昨日書いたセクシャルな欲望のことについて、今朝も強迫観念に苛まれる。「女性が欲しい」という……それでDiscordのとあるサーバで話す。もちろん欲望が解決したわけではないのだけれど(根源的な淋しさと向き合わねばこの問題は片付くまい)、誰かに打ち明けたことである程度安心できたのでありがたく思った。イオンに行き、プライマル・スクリームバニシング・ポイント』を聴きながら考え事をする(ちなみにこの作品は地味ながら名盤だと思う)。これからどんな風に人生が開けていくのだろう。いつまでも過去のトラウマをこじらせてばかりもいられない。

ジョン・マクレガー『奇跡も語る者がいなければ』を読む。イギリスの作品だというが、確かに良質なイギリス映画にも似た細部の細やかさというか丹念な描写を楽しむ。乏しい映画体験から参照すれば『マンチェスター・バイ・ザ・シー』のような(この映画はアメリカ映画らしいが)。私がこうして何事かを書き記すことは世界に確実にアクションとなって作用する。それは隣人の呼吸や仕事がアクションとなるのと同じだ。そうしたアクションが連鎖することによって「奇跡(Remarkable Things)」が生まれる。そんなメッセージを感じた。

夜、英会話教室に行く。今回はスポーツと趣味について。スーパーボウルについて学び、日本で同じようなスポーツの祭典があるかどうか話題になる。そこで、ちょうど羽生結弦の現役引退について知ったばかりなのでその話題を隣の席の人と話す。あとは高校野球プロ野球についても話題になった。その後、コステロアボットの寸劇をビデオで見て英語を学ぶ。この英会話教室もこれで7回目。だが、未だに私は隣に座った方の名前を覚えられず苦労する。記憶にムラがあるのも発達障害のせいなのだろうか。私にはわからない。

その後グループホームに帰り、時間があったのでジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』を読む。淡彩な筆致で描かれた世界に惹かれる。多国籍というか国際化が進む世界をトレースした作風にふと私自身のことを思う。私はナショナリストではないつもりだが、それでも日本的なものを持ち合わせていると思う。海外のDiscordやその他のソーシャルメディアの利用者と話しているとそういう「日本的なもの」が自分の中にありうることを感じる。ご飯は魚と醤油で食べる、というようなベーシックな次元でそういう要素が自分の中で機能しているのではないだろうか、と思った。小津のカメラワークや坂本龍一のピアノ演奏に慰撫される感受性。それは確実に自分の中に存在している。