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2021/08/26

ポール・オースター『冬の日誌』を読む。64歳にさしかかった彼は、自分は「人生の冬」を歩いていると自覚する。そんな彼がこれまでの人生を振り返ったエッセイ的な本だ。とりわけ母親との確執を克明に描いているところが興味深い。ポール・オースターの作品ではこれまで、どちらかといえば父との複雑な関係が描かれるのが通例だったからだ。『冬の日誌』では母の突然の死について、愛すべき人との別れがそんなふうに突然に訪れることについて、静謐な文体で記している。柴田元幸の翻訳によって、こちらにも厳粛な気持ちを呼び覚ます。

たまたま最近J・G・バラードの自伝『人生の奇跡』を読んだからか、バラードとオースターが書いた共通する要素としての母親の存在に思いを馳せる。私もまた、自分の母親とは素直に接することができない。私が生まれてきたことで母の人生が狂ったのではないかとさえ思っていた時期があったことを思い出す。あるいは、過保護や過干渉ではないかと。今はグループホームに住まわせてもらって、親から自立して生きることを目指しているのだけれど、未だに母親とは仲良く接することができない。私自身は今は母を憎んでいるつもりは全然ないのだけれど。

阿部昭という作家の『単純な生活』という本を図書館で借りた。この人は文学史では「内向の世代」と呼ばれる世代に属している。政治的なことを声高に描かず、自分の小市民的な幸せを掘り下げた人だからそう呼ばれたのだろう。私は、小市民的な幸せを舐めてはいけないと思っている。私自身、成功や出世が幸せだと考えていた頃があったから、今の確かな幸せこそが真の幸せなのだと考えているのだった。『単純な生活』は一度読んでいたのだけれど、また読み返したくなってしまった。こんな小説、いやこんな文章を書きたい……と、自分のお手本として考える作家のひとりだ。

そんなことを考えていたからだろうか、夜に大九明子『甘いお酒でうがい』を観て沁みるものを感じた。40代の派遣社員の女性が体験する穏やかな生活と恋愛模様を描いた映画なのだけれど、そんなに派手なことが起きるわけでもない。のに、主人公が日々を楽しむ知恵を発揮してチャーミングな日々を過ごす。なんの前知識もなく借りた映画なのだけれど、観てよかったと思った。私自身、年を取ることや生きることをただ単に「死なないために生きている」と考えていた頃があった。ただ、死んじゃだめだから生きる……どうしてそんなことを考えたのだろう。いい映画はこうして自分の心の奥に届き、思いも寄らないことを思わせる。