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リチャード・リンクレイター『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』

リチャード・リンクレイター『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』を観る。村上春樹の小説を思い出した。とりわけ、彼のデビュー作『風の歌を聴け』に似ているように思われたのだ。スジ自体は他愛もない映画である。高校時代実力派の投手として鳴らした青年が大学に入る。そこで出会った、一癖も二癖もある野球部の先輩や同級生たちと無意味な享楽に興じ、しっかり野球の練習もこなし、見るもの触れるものが全て初めてである大学生活を堪能する、という話である。大学生がいかにも夢中になりそうな可愛い女の子やビールがアクセントとなってこの映画を甘酸っぱいものにしていると思う。


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さて、事務的に評価すればこの映画は最初はそんなに優れたものだとも思わなかった。リチャード・リンクレイターとは相性が悪いのだけれど、この作品も観ていてイマイチ締まりがないというか、一度目に観た時はダラダラと大学生活の面白さと無意味さが続くだけという印象を抱いてしまったのだ。むろんこの映画はそんなにダラダラしっぱなしというわけではなく、最後まで見通してみるともっとメッセージ性のある展開を用意している。それについてはこれから書いていくとして、それを踏まえても私は、この映画に関していい観衆では居られないようだ。それが正直な評価になる。

しかし、下らない映画と一蹴する気もないのだった。映画の中でも語られるが、大学に入るとどうしたって高校時代のような気楽さとはまた別の現実が待っている。上には上が居る、という現実を受け容れてスーパールーキーとして活躍することを諦めないといけないし、女の子だってそう簡単にこちらになびいてくれるわけではない。若さは特権的な要素ではあるだろうが、知られるように若さほどあっという間に消え去って二度と戻ってこない要素というものもそうない。そんな、「今」だからこそ自分たちが特権的であるという自覚は登場人物たちが多かれ少なかれ持っているものである。

だから、二度目になる今回の鑑賞で考えてしまったのだ。彼らは無責任に自堕落に「今」に溺れているわけではない。逆だ。「今」しか楽しい時間がないという自覚があるからこそ「今」に溺れ、できることなら「今」で時間を止めてしまいたいとさえ思う。この映画では三十路を過ぎても大学生たちの中に入って学生気分を満喫していた人物が登場する。ここがこの映画の最も痛々しい、しかし目を背けてはならない場面だと思った。大学生たちの中に入ってやんちゃをしたい、という気持ちを諦められない人のみっともなさと切実さをきちんと拾っている繊細な映画だなと思ったのだ。

話が脱線するし映画とは関係なくなるのだが、私自身大学生の頃にこういう人々と接したことがある。彼らは左翼運動に身を投じていたのだけれど、留年を繰り返し偽装した身分で大学に入り直し(たと聞く)、終わらない青春時代を過ごしていたのだった。いや、それを嗤うことは容易い。しかしならば私たちはどこでそんな青春時代にケリを付けて一皮剥けた大人になりうる契機を経たというのだろう。その意味で、今回の鑑賞で演劇部の女性に主人公が自分の野球観や人生観を語ったところが印象的だった。野球の中にストイックに身を投じ、身を委ねることの大切さというテーマは私自身が考えていることとシンクロしたから余計にここで「成長」を深読みしたくさせられたのだ。それが彼が野球を続け、人生を肯定的に捉える理由なのだな、と。

光る場面はさほどないが、リチャード・リンクレイターの映画ならではの風俗を多彩に取り入れる手腕は見事だ。特に音楽はほぼ完璧ではないだろうか。終わらないディスコサウンドが、この映画が示唆する「モラトリアム」というテーマとシンクロしている印象を受ける。青春時代、つまり誰もがまだまだ経験において乏しく、それ故に無垢でいられた時代であり同時に愚かしさを晒すしかなかった時代。そんな時代の悲しさを可笑しさを描いた映画として……そう捉えるならなかなかの出来を示していると評価を変えようと思った。とはいっても、もっと削ってタイトに展開してもよかった映画かなという感想は変わらないのだけれど。