跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/02/20 BGM: Blur - Parklife

英語を学ぶにあたって自分はいまなお・いまだに初学者なのだろうか。真剣にこんなことを考えてしまう。というのは、前にも書いたのだけどぼくは13歳の頃から中学校で英語を学び始めた。そして大学ではぼくは英文学(アメリカ文学、とりわけビート・ジェネレーション)を学びたいとまで思ったのだった(そして翻訳の道にも興味を抱いて……結局ものにはならなかった)。その後、失意の空白期間を過ごして40の歳に本腰を入れた英語の勉強を再開した。だけど、そんな「紆余曲折(ロング・アンド・ワインディング・ロード)」を経てもぼくは自分が流暢だとも、いやそれどころか中級者だとも思えないで戸惑ってしまっているのだった。

人はこんな話を嘘八百だとか夢想だとか言うかもしれないけれど、でも心のどこかではぼくはそんな「初学の志」を持っていたいと思っている。言い換えれば、好奇心や確かなモチベーションだ。たぶんこういうことを考えるのはぼくの幼稚な、大人になりきれない性格・性分ゆえだろう。基本的に、ぼくは(大げさかなとも思うけれど)子どもなのでいろんなことを考えて問い続けることがやめられないのだった。

初心者として自らを形容し、名乗ること。それはぼくが学びにおいてまだ幼く、未成熟であると語るのと同じようなことなのだろう。つまりはまだ未完成の素材として自らを位置づけるということだ。今年でぼくは49になあるけれど、このことについて言えばぼくは古代のアジアの(日本や中国の)哲学の考え方を支持する。誰の言葉か忘れてしまったけれど、「日暮れて道遠し」あるいは「少年老い易く学成り難し」という考え方だ。

今日は早番だった。その後、英会話教室に出席する。今回は誕生日を祝うさまざまな伝統・しきたりについて教わった。どうやってそれぞれの国の流儀・作法で誕生日を祝うか。どんなものを食べたり、カードを送ったりするか。面白いレッスンだった。

この種の話題について、ぼくの考えは必然的・最終的にこんな結論に行き着く。それはつまり、つながり・絆の力は無限だということだ。自分を省みて、独りぼっちで過ごしていたとしたら40の歳にこんなふうに(40だよ!)英語を学び直したいなんて考えることはなかっただろう。その歳に、ぼくはある方とお会いした。彼女がぼくの英語を褒めてくださって……そしてやり直してみたいと思い始めたのだった。だからこの種の学びの機会を大切に味わいたいと思いもしている。1つずつ。そしてぼくの学びの道は続いていく。